内侍所都入

平家物語:内侍所都入 朗読mp3

平家物語巻第十一より「内侍所都入(ないしどころの みやこいり)」です。
壇ノ浦の合戦が終わり、捕らえられた人たちは都に連行されます。


あらすじ

壇ノ浦の合戦も終盤。平家の新中納言知盛は「見るべきほどのことは 見つ(見届けるべきことは見届けた)」と言い残し、乳母子の伊賀平内冴左衛門家長(いがのへいないざえもん いえなが)と ともに入水します。侍たちも後を追って入水します。

前内大臣宗盛・平大納言時忠をはじめ、平家の名だたる人々が生捕りにされました。

元暦二年四月三日、義経は都に源八広綱を送り、平家を滅ぼし三種の神器を取り戻したことを報告します。

法皇は感激し、源八広綱を左衛門尉に任じます。そして確かに三種の神器 が戻ったか確かめるため藤判官信盛を西国へ遣わします。

同十四日、捕虜を連れた義経一行は播磨国明石の浦を通ります。月の名所です。平家の人々は月を見てしみじみ感慨にふけり歌を詠みます。

ながむれば ぬるるたもとに やどりけり 月よ雲居の ものがたりせよ
(意味)月をしみじみ見ていると涙にくれるこの袖に月影が反射して 映っている。月よ天上(都)のことを聞かせておくれ

雲のうへに 見しにかはらぬ 月かげの すむにつけても ものぞかなしき
(意味)かつて宮中で見た月の姿が今も変わらず澄んでいるのを 見るにつけても、落ちぶれた我が身が身に沁みて悲しい。

我身こそ あかしの浦に たびねせめ おなじ浪にも やどる月かな
(意味)このような落ちぶれた身になった私は明石の浦に旅寝するのだろうが、 見ると同じように月が海の波に反射して宿っているよ

義経は武士でありながら情け深い人だったので、この様子を見てしみじみあはれに 思いました。

同二十五日、三種の神器のうち内侍所(=八咫鏡やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は宮中に戻りました。
しかし草薙剣(くさなぎのつるぎ)は海に沈んで失われていました。

(注)「内侍所(ないしどころ)」は三種の神器のうち八咫鏡を 置く宮中の「場所」を指す言葉ですが、八咫鏡そのものを指すことも あります。ここではその用法です。


なんといっても「見るべきほどのことは見つ」の名台詞です。 知盛が見届けたものは何だったのか…この言葉の深さを理解するには 「知章最期」で知盛が目の前で息子を失い、我が身一人逃げ延び、それ以来 死に場所を探していたことを踏まえなければなりません。

また、壇ノ浦の敗戦後も「そこをも又落ちにけり」つまり逃げ延びた メンバーの中に上総悪七兵衛景清の名が挙がっていることもポイントです。 平家物語にはわずかにしか登場しない「景清」の名はよほど 人々の想像力を刺激したらしく、後にさまざまな景清物語が生まれます。

合戦後の壇ノ浦の描写は平家物語の本領発揮の見事な 名調子です。あまりの美文なので、悲惨さはむしろ弱まってる気がします。

海上には赤旗、赤じるしなげ捨て、かなぐり捨てたりければ、竜田河の 紅葉ばを嵐の吹き散らしたるがごとし。みぎはによするしら浪も、 うすぐれなゐにぞなりにける。


posted by 左大臣光永 | 屋島・壇ノ浦

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