少将都帰

平家物語:少将都帰 朗読mp3(一) 平家物語:少将都帰 朗読mp3(二)

平家物語巻第三より「少将都帰(しょうしょうの みやこがえり)」です。 島流しになっていた丹波少将成経は中宮徳子の 安産祈願の特赦により釈放され、都へ帰ります。


あらすじ

丹波少将成経(たんばのしょうしょう なりつね)の父大納言成親(だいなごん なりちか)は 鹿谷事件(「鹿谷」)の首謀者として備前国に流され、その地で処刑されます(「大納言死去」)。

丹波少将成経は俊寛僧都、康頼入道とともに鬼界が島に流されました。

その後中宮徳子の安産祈願のため(「赦文」)、鬼界が島の流人を釈放しようということになります。 俊寛だけは赦されませんでしたが(「足摺」)丹波少将成経、康頼入道は赦されます。

治承三年正月下旬、丹波少将成経と康頼入道は鬼界が島から肥前国鹿瀬を立ち、 二月十日頃備前国児島へ着きます。

備前国児島は少将の父大納言殿(成親)が島流しのまま最後を迎えた地です(現岡山県)。 宿所には大納言殿の書置きが多く残っていました。

その書置きから侍の源左衛門尉信俊が大納言殿を訪ねてくれていたことも知られるのでした。

阿弥陀如来の来迎を確信する言葉も見られ、これならきっと極楽往生しているだろうと 悲しみの中にも微かな希望を見出すのでした。

少将は父大納言殿の墓の前で思いのたけを語り、七日七夜念仏し卒塔婆を 建てて備前国児島を立ちます。

同三月十六日、少将と康頼入道の二人は鳥羽の州浜殿を見舞います。 大納言殿の山荘のあったところです。少将は湧き上がる父の思い出に涙し、 その思いを古歌に託します。

桃李不言 春幾暮、煙霞無跡昔誰栖
(桃李もの言わず 春いくばくか暮れぬる、煙霞跡無し 昔誰ぞ栖)
(意味)桃や李の花は昔と同じく咲いているが、口はきけないので 幾たびの春が過ぎたのか尋ねることができない。霞はたなびいているが跡を残さないので 昔ここに誰が住んでいたか知ることもできない。和漢朗詠集。

ふるさとの 花の物いふ世なりせば いかにむかしの ことをとはまし
(意味)故郷の花がもし口をきくことができるなら、昔のことを 尋ねてみたいものだよ。後拾遺集。

翌朝早く州浜殿を出て二人は都へ出発します。康頼の迎えにも車は 多くありましたが、名残惜しさに少将の車にのって同行しました。

少将は、舅の平宰相(教盛)の宿所につき、母君をはじめ身内の人々と再会を喜びます。
中将は元のとおり院に召し使われ宰相中将まで出世しました。

康頼入道は東山双林寺の山荘につくと、まず心境を歌に詠みます。

ふる里の 軒の板間に 苔むして おもひしほどは もらぬ月かな
(意味)故郷の山荘はすっかりボロボロになり隙間だらけだが、 その隙間に苔が生えているので想像していたほどは月の光が漏れないことだなあ

そのままその山荘にこもり、「宝物集」という物語を書いたということです。



平家物語の中でも極めて朗読が難しい章だと思います。丹波少将が 父大納言殿の墓の前で延々と思いを述べる長い台詞が難しいです。

悲哀にくれて、しみじみと、しかしどこか安心感もあるのです。 複雑な感情がからまります。

しんみり系の台詞は感情移入してしんみり朗読しているつもりでも 後で聴いてみると単に小さくか細いだけの声だったりします。

通る声で、しかもシミジミ感を出さないといけない、しかもそれが長ーい 台詞なので、大変でした。

5回くらい録音しなおして今だに納得できないです。

忠教都落」にも同種の難しさがあります。薩摩守忠教が都落ちの前に 歌の師匠俊成を訪ねる話です。忠教が延々と語る長い台詞がメインです。

同じ長台詞でも偉そうに脅迫してる「木曽山門牒状」やダーーッと気持ちよく読み上げる「勧進帳」は それほど迷わないのに。シミジミ系は難しいなぁ。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

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