朗読 平家物語一の谷 生ズキノ沙汰

生ズキノ沙汰

平家物語:生ズキノ沙汰 朗読mp3

平家物語巻第九より「生ズキノ沙汰(いけずきのさた)」です。 頼朝は「生ズキ」という名馬を梶原景季より強く望まれながら与えず、 佐々木高綱に与えました。このことで梶原と佐々木の間に衝突が起こりかけます。梶原と佐々木の性格づけに対照を出しつつ再録しました。


あらすじ

寿永三年の正月が来ますが都では昨年暮れの法住寺合戦(「法住寺合戦」)より院の 御所を六条西洞院に移していたため、正月の儀式も祝い事も行われませんでした。

一方安徳天皇を擁した屋島の平家方でも正月らしい祝い事は行いませんでした。 平家の人々は都での華やかな暮らしを思い出し、今の侘しい現状に涙するのでした。

同正月十一日、木曽義仲は平家追討のため西国へ出発する旨を 院の御所に奏聞(報告)します。

ところが同十三日、義仲の都での狼藉を鎮めるため鎌倉より頼朝が 軍勢を遣わし、既に都近くまで迫っているという情報が入ります。

驚いた義仲は今井兼平らを討伐のため差し向けます。

鎌倉より攻め上るのは大手の蒲冠者範頼、からめ手の九郎義経以下 六万余騎ということでした。

さてその頃頼朝のもとに生食(いけずき)磨墨(するすみ)という二頭の 名馬がありました。

梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)はしきりにいけずきを 所望しましたが、頼朝は「非常の場合に頼朝が乗る馬だ」と言って 代りに磨墨を与えました。

ところが後日佐々木四郎高綱(ささきしろう たかつな)がいけずきを所望したところ、 頼朝はあっさりと与えてしまいます。

木曽義仲討伐のために鎌倉を出た一行は東海道を京都へ向かいます。 駿河国浮島というところで梶原源太景季は高いところに上がり、 ズラリと並んだ自軍の馬を見下ろしていました。

「俺が賜った磨墨に勝る馬は一頭も無いなぁ」と満足げな梶原。ところが その中に梶原が所望して得られなかった、あのいけずきの姿がありました。

聞くと「佐々木殿の馬です」との答えです。梶原は不機嫌になり、名誉を 傷つけられた上は佐々木と刺し違えて死のうと待ち伏せます。

そこへ何も知らない佐々木四郎高綱がやってきます。梶原のただならぬ様子を 見て「そういえば梶原殿もいけずきを所望していたのだ」と思い出す佐々木。

そこで咄嗟に作り話をします。「前々からいけずきを所望していましたが、 梶原殿にさえ下されなかった馬。まして私ごときがとうてい無理と思い、 こっそり厨に忍び込んで盗んできたのです」と。

梶原は、「なんだ、それなら俺も盗むんだった」と大笑いしました。


平家物語の中でもこれほど楽しくユカイな気持ちで 朗読できる章はありません。

梶原のわかりやすい一喜一憂ぶりが すごく可愛い。微笑ましいです。

ズラーッと並んだ味方の馬を見ながら「ふふふ、俺の馬が一番だぜ」と ニヤニヤしていたところ、実は佐々木のほうが優遇されていたことを知り、 真っ赤になって腹をかく。そこを佐々木の釈明で「なぁんだ」と大笑いする。

梶原の豊かな表情の変化が伝わってくるようです。平家物語の登場人物は 実によく笑い、怒り、泣きます。おし隠すことをしない。感情表現がストレートで大好きです。

仕事や昇進にからむ男の嫉妬は 女の嫉妬よりよほど恐ろしいですが、こうサワヤカに解決されると 大変気持ちいいです。

梶原=一本気、直情型、単純。佐々木=知恵がまわる。二人の性格を見事に 単純化して描いています。この対照はこの後「宇治川先陣」の章で 見事な盛り上がりにつながります。

会話劇で描き出された人物の対照が、アクションシーンでバーンと活かされる… 見事な構成です。「宇治川先陣」は、ぜひこの「イケズキノ沙汰」と 合わせて味わってほしい章です。


posted by 左大臣光永 | 一の谷

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院の御所法住寺殿を焼き討ちにした義仲は天下に孤立。後白河法皇は頼朝に義仲追討の院宣を下し、範頼・義経両軍が京都へ攻め寄せます。義仲が朝敵となったことで、それまで義仲に従ってきた者も次々と去っていきます。そんな中、股肱の臣たる今井兼平、樋口兼光、巴らはあくまで義仲への忠義をつらぬきます。 詳しくはこちら


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