高野巻

平家物語:高野巻 朗読mp3

平家物語巻第十「高野巻(こうやのまき)」です。屋島の陣を離れて 高野入りした維盛は旧知の滝口入道の案内で熊野巡礼に出発します。


あらすじ

三位中将維盛は高野山に入ると旧知の滝口入道を訪ねます(『横笛』)。

維盛は滝口入道に屋島の陣を離れたいきさつを語ります。

都に残して来た妻子を思う心が言うともなく伝わったのか 大臣殿(宗盛)も二位殿(清盛の北の方)も自分が 池の大納言のように裏切るのではと警戒するようになった。

生きていても仕方のない我が身よと屋島の陣を出て この高野に来たのだ。

山伝いに都へ戻り妻子を訪ねようとも思ったが、本三位中将(重衡)は 生捕りになって恥辱を受けたときく。自分も同じことになるのは口惜しい。

出家して命を絶とうと思うが、その前にぜひ熊野に参詣したい…と。

こうして維盛は滝口入道の案内で熊野の一番奥にある弘法大師の 廟に参詣します。

高野山は清らかな風が木々の梢を吹いて、八つの山と谷からなる、心澄み渡るような 霊場です。

延喜年間(901〜922)のこと。醍醐帝に夢のお告げがありました。すでに入定(僧が座禅修行に 入ること)していた 弘法大師にひはだ色の衣をおささげせよという夢でした。

弘法大師は延喜年間に先立つこと100年ほど昔の承和二年(835) 高野山奥の院に入定し、そのままの肉体を保ち続けておられたのです。

勅旨中納言資澄卿が般若寺の僧正観賢とともに高野山に上ります。しかし奥の院を 開こうとすると霧が厚くかかって弘法大師の姿を拝めません。

観賢は泣き崩れます。「私はいまだかつて僧としての戒律を破ったことはありません。 どうしてお姿を拝することができないのでしょう」と

すると霧が晴れて弘法大師の姿が現れます。観賢は喜んでひはだ色の衣を 弘法大師に着せます。百年かけて伸びていた弘法大師の髪をお剃りしました。

観賢僧正の弟子石山の内供淳祐(いしやまのないく じゅんゆう)という 童は弘法大師を直接拝むことができず嘆いていました。

観賢は淳祐の手を取り弘法大師の膝に押し当てます。するとその手は一生涯香ばしい香りを放ったということです。

弘法大師が醍醐帝への返事におっしゃることには、 「普賢菩薩に会って以来仏教の教えを広めるためこの高野山に こもりました。肉体のまま三昧境に入り、弥勒菩薩の出現を待っています」と。

釈迦十大弟子の一人、摩訶迦葉(まかかしょう)が古代インドのマガダ国の 鶏足山の洞窟にこもり弥勒菩薩の出現を待った故事を彷彿させることでした。

弘法大師が入定されたのは承和二年(835)平家物語の時代には既に 三百余年が経過しているとはいえ弥勒菩薩の出現までまだ 五十六億七千万年あるのは気の遠くなる話です。


仏教用語がバンバン出てくる章です。調べるだけでへとへとになりました。 最初弘法大師が即身仏でミイラになってるかと思いました。 生きたままおこもりになってるのでした。

高野山奥の院には現在でも弘法大師が入定しているとされ、毎日二時には 維那(ゆいな)と呼ばれる僧が食事を供するのだそうです。

インディージョーンズでテンプル騎士団のおっさんが生きたままキリストの 聖杯を守り続けていたのを思い出しました。


posted by 左大臣光永 | 重衡と維盛

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