富士川

平家物語:富士川(一)朗読mp3
平家物語:富士川(二)朗読mp3

平家物語巻第五より「富士川」です。平維盛を大将とする平家軍は 富士川で頼朝軍と対峙しますが水鳥の羽音を敵の襲撃と勘違いし 戦わずして逃げます。


あらすじ

福原では頼朝が軍勢を集める前に討伐しようという話になり、 大将軍維盛、副将軍忠教の三万余騎が東国へ出発します。

忠教はある皇族の娘である女房の元に長年通っていました。ある時 忠教が女房の局にいた時、不意に身分の高い女房が訪ねてきました。

忠教は軒端に追い出される形になりました。客人は長話で なかなか帰りません。イライラした忠教は軒端で扇子を荒くバタバタ させました。

するとこの忠教の想い人である女房は、

野もせにすだく虫のねよ

と口ずさみます。虫の声がうるさいですわね、という意味ですが、 実はこの言葉は「かしがまし 野もせにすだく 虫の声や われだに 物は言はでこそ思へ」という古歌を踏まえています。

「広い野も 狭いと言わんばかりに騒ぐ虫の声よ。こんなに貴方を想っている私でさえ 言葉に出さずにじっと想っているのに」という意味です。

女房は客人には「虫の声がうるさいですね」と表面的な ことを伝え、忠教には「本当は貴方と一緒にいたいのです」ということを 伝えたのです。

後日、その女房が「なぜあの時さっさと扇を使いやめたのか」と 訪ねると、忠教は女房が引用した歌を踏まえて、「かしがましなんど 聞こえ候しかば…」(うるさいと思ったので)と答えたということです。

忠教の出陣にあたって、この女房から小袖一重ねに添えて歌が 贈られました。

あづまぢの 草葉をわけん袖よりも たたぬたもとの 露ぞこぼるる
(意味)東国の草葉をわけて遠征する貴方の袖よりも、 都に留まっている私の袂のほうがよほど涙に濡れているでしょう。

忠教の返歌…
わかれ路を なにかなげかん こえてゆく 関もむかしの 跡とおもへば
(意味)この旅の別れをなんで嘆くことがあろう。 超えてゆくのは私の先祖が昔逆賊を滅ぼした戦勝の跡なのだから

昔は朝敵を滅ぼすため遠国へ向かう将軍は、天皇から指揮権を 委託されたしるしとして「節刀」を賜りました。

今回の出征に当たってはかつて清盛の祖父・正盛が源義親を追討に 向かった例に倣い、駅道の人夫や馬を徴収する権限の証である【鈴】のみを賜りました。

十月十六日、一行は駿河国清美が関につきます。途中人員を徴収し 七万余騎に膨れ上がっていました。

大将軍維盛は「足柄山を越えて坂東で戦をしよう」と主張しますが、 清盛より戦のことを任せられていた上総守忠清が「富士川の前で 味方が到着するのを待ちましょう」と言ったので、そうすることにしました。

一方頼朝はに駿河国黄瀬河の浮島が原に軍勢二十万騎を終結させていました。

上総守忠清はたまたま源氏の使いの者を捕らえてその軍勢の様子を知ります。

そして大将軍宗盛の決断が遅れたために 平家方の集結が遅くなったことを歯がゆく思いました。

また、大将軍維盛は東国の案内者として連れてきた斉藤別当実盛に 「お前ほど強弓を引く者は東国にどれほどいるのか」と訪ねます。

斉藤別当実盛は、「自分程度の者はいくらもいます」と笑い、 親が討たれればその屍骸の上を乗り越え乗り越え戦う坂東武者の 凄まじさを語ります。

平家の武者たちはこれを聞いて震え上がりました。

決戦前夜、平家の陣から源氏の陣を見渡すと百姓らが戦を 避けるために避難していた炊事の火が見えました。

平家軍はこれを勝手に源氏の松明の火と思い込み大騒ぎしていました。

夜半、富士の沼にいた水鳥たちが、何に驚いてがバッと一度に飛び上がりました。

平家軍は源氏の襲撃と勘違いし、大慌てで陣を蜂起し逃げてしまいました。

翌二十四日、源氏軍は富士川に押し寄せます。


有名な「水鳥の羽音に驚いて平家逃げる」のくだりです。 真偽のほどは怪しいらしく、吉川英治氏の「新平家物語」の中で 詳しく分析してありました。

なんといってもポイントは斉藤別当実盛が維盛に坂東武者の凄まじさを語る くだりです。

実盛の台詞はとてもテンポよく、東国と西国の 対照性を出していて、朗読しがいのあるところです。ぜひ原文で味わいたい ところです。

いくさは又おやも討たれよ、子も討たれよ、死ぬれば乗り換え戦ふ候。

この斉藤別当実盛といじいさんは、元は源義朝に仕えていたが 後に平家方についた人物です。

子供時代の木曾義仲を保護したこともあり、その複雑な立場が 後に北国篠原での悲劇に繋がっていきます(「実盛」)。

「鉄道唱歌」では、

鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて
今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟


と歌われています。


posted by 左大臣光永 | 平家凋落

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