大宰府落

平家物語 大宰府落 朗読mp3

平家物語巻第八「大宰府落(だざいふおち)」です。平家は鎮西の大宰府を都と定めようとしていましたが、源氏によって追い落とされ、長門国を経て四国に逃げ延びます。


あらすじ

平家は大宰府に都をたてようと試みていた矢先、豊後国の緒方維義が背いたという知らせを受けます。

平大納言時忠は、「緒方維義は小松殿(重盛)の御家人だった、小松殿の一族の公達が説得すれば思いとどまるだろう」と、資盛を豊後の国へ向かわせます。しかし維義は資盛を追い返します。

その上維義の次男維村が平家に使いとして送られてきて「後白河院より平家追討の宣旨が下っている。急いで九州から退出すべきだ」と伝えます。

時忠は平家の血統の確かさ、故入道清盛の、保元・平治の合戦における働きなどを語り、怒り狂うのですが、この報告を受けた維義は「昔は昔今は今」と戦の準備をします。

平家軍は源大夫判官季定、摂津判官守澄ら三千余騎を筑後国高野本庄に送りますが、一日戦った結果、負けて退却します。

緒方維義の三万余騎が攻めてくるときいて平家一門は大宰府から逃げ出します。安徳帝、建礼門院をはじめ女房達も含んだ、痛々しい道行きです。

原田大夫種直は平家のもとに参上していましたが、同じく平家を迎えに来た山鹿兵藤次秀遠と不仲になり、道を引き返します。

芦屋の津という土地を通ったときは、「芦屋」というのがかつて福原に都があった時、近くにあった地名なので思い出され、なおさら涙を誘うのでした。

兵藤次秀遠の案内で山鹿の城にこもりますが、そこも敵が攻めてきて落ちゆき、豊前国柳ヶ浦につきますが、ここには都をつくるほどの土地の広さがありませんでした。長門より源氏が来るという話があり、また船に乗って逃げます。

その船行きの最中、重盛の三男、左の中将清経(ひだんのちゅうじょう きよつね)は世のはかなさを感じ海に身を投げます。

その船行きの最中、重盛の三男、左の中将清経(ひだんのちゅうじょう きよつね)は世のはかなさを感じ海に身を投げます。

長門国の目代、紀伊刑部大夫道資から大船100余艘の献上を受け、それに乗って四国へ渡り、阿波民部重能の指図で讃岐の屋島に形式ばかりの内裏や御所をつくります。


あまり知られていないことですが、平家一門は一度九州まで逃げ延びてます。それから再び本州に戻り、壇ノ浦の合戦を迎えます。

話の流れうんぬんよりも、平家一門の落ち行く悲惨さを描写した文体が素晴らしい章です。

洲崎にさわぐ千鳥の声は、暁恨をまし、そはひにかかる梶の音、夜半に心をいたましむ。遠松に白露のむれゐるを見ては、源氏の旗をあぐるかと疑い、野雁の遙海になくを聞ては、兵どもの夜もすがら舟をこぐかとおどろかる。

左中将清経の自害が描写されてますが、後に「六道之沙汰」の中で出家した建礼門院徳子が、「清経の自害が平家凋落のはじめだった」という意味のことを語ってます。


posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭

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