十訓抄

『平家物語』では基本的に悪人扱いの清盛ですが、
べつの記録を見ると気遣いのある、やさしい人柄が書かれています。

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「十訓抄」は鎌倉時代中期の教訓説話集ですが、
若き日の清盛についての逸話が書かれています(「十訓抄」七ノ二十八)。

【原文】

かやうのかたは、福原大相国禅門のわかがみ、いみじかりける人なり。折悪しく、にがにがしきことなれども、その主のたはぶれと思ひて、しつるをば、かれがとぶらひに、をかしからぬゑをも笑ひ、いかなる誤りをし、物をうち散らし、あさましきわざをしたれども、いひがひなしとて、荒き声をも立てず。

冬寒きころは、小侍どもわが衣の裾の下に臥せて、つとめては、かれらが朝寝(あさい)したれば、やをらぬき出でて、思ふばかり寝させけり。

召し使ふにも及ばぬ末のものなれども、それがかたざまのものの見るところにては、人数なる由をもてなし給ひければ、いみじき面目にて、心にしみて、うれしと思ひけり。かやうの情けにて、ありとあるたぐひ思ひつきけり。

人の心を感ぜしむとはこれなり。

【現代語訳】

こういうこと(気遣い)に感しては、福原の大相国(清盛)さまの若い頃が立派だった。間が悪く、苦々しいことでも、その人がたわむれにいったことだと思い定めて、その人への御愛想に、おかしく無いときでも笑い、どんな間違いをしても物を壊してもひどいことをしても、どうしようも無いやつだ、などと声を荒げなかった。

冬の寒いときは、お仕えしている侍たちを自分の衣の裾近く寝かせて、朝早くに彼らがまだ寝ているなら、起こさないようにそっと抜け出して、気が済むまで寝かせてやった。

召し仕うにも値しないような身分の低い者であっても、その人の縁者が見ているところではひとかどの者のように扱ってやったので、そういう者も面目が保たれ、心にしめて嬉しく思ったという。このような情けある人だったから、あらゆる人が心酔したのだ。

人の心をとらえるとは、こういうことである。

posted by 左大臣光永 | 平家物語関連

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