医師問答

平家物語:医師問答 朗読mp3

平家物語巻第三より「医師問答(いしもんどう)」です。
重盛の死が描かれます。病についた重盛が医師の診察を断ります。


あらすじ

重盛は平家の行く末を案じ、熊野へ参詣します。

本宮の御前で、父清盛の悪行が目に余ることを心配し、それを止められない自身の非力を嘆きます。

子孫の繁栄が続くなら、父清盛の悪心をやわらげ天下の安全を得させたまえ、 もし清盛一代の栄光ならば早く重盛の命を尽きさせ、来世での苦しみを助けたまえと祈ります。

熊野からの帰り道、岩田川にて嫡子維盛以下の公達が浄衣の下に薄色の衣を着て水遊びを していました。

すると、その水に濡れた衣の色が、まるで喪服の色のように見えたので、不吉に思った筑後守貞能が着替えせようとします。
しかし重盛は「我が願いは聞き入れられた」と喜び、熊野へささげ物を送るのでした。

それから間もなくこの公達らは実際に喪服を着ることになるのです。

熊野から帰ってすぐ、重盛は病の床につきます。

その頃宋から有名な医師が来日していました。
清盛は越中前司盛俊を遣わし、この医師の診察を受けることを重盛に薦めます。

重盛は盛俊に語ります。
「醍醐天皇は名君の誉れ高かったが、ただ一つ、異国の観相師を招きいれたことが失策であった。
まして重盛のような凡人が異国の医師を招くことは、国の恥だ。

漢の高祖(劉邦)が淮南の黥布(げいふ)を打った時、流れ矢に当たって傷を受けた。
医師は五十斤の金もらえば治せる言ったが、高祖は金を惜しんだといわれるのは末代までの恥だと五十斤を支払いながら、「命は天にあり」と言って治療を受けなかった。

古い言い伝えは耳に残っている。いやしくも大臣まで拝命している重盛だ。
どうして天の意思を察さずに、医療に頼ることができようか。
もし運命が尽きているのなら、医療に頼ってもしょうがないこと。尽きていないなら 自然に治るだろう。

古代インドの名医、耆婆(ぎば)が医療を尽くしたが、大覚世尊は跋堤河(ばつだいが)のほとりで入滅された。
名医耆婆が悟りを開いた高僧である世尊を看てさえ治らなかったのだ。
運命による病が、避けられないことを示すためである。

重盛は世尊のような賢人ではなく、宋の名医といっても耆婆には及ぶまい。
中国の四大医書を参照し、さまざまな治療法を試したとしても、消滅無常の理に支配される 凡夫の身を助けることができようか。
五経の医学知識に詳しいといっても、前世が原因の病を治すことができようか。

もしその者の医術で重盛が治れば、わが国の医学は無きに等しいことになってしまう。
医術の効果が無いなら、会っても意味のないことだ。
大臣の身でありながら異国からふらりと来たものに会うことは国の恥、道の廃れだ。
重盛、身は滅ぶとも、国の恥を思う心をなくすことはできない」
…と。

盛俊が帰って清盛にこれを告げると、清盛は感服し、息子の臨終に立ち会うため、都へ上るのでした。

七月二十八日、小松殿(重盛)ご出家。
八月一日、四十三歳で帰らぬ人となります。

人々が嘆きあう中、宗盛卿の側近の人々は「これで宗盛殿の世になるに違いない」と 無邪気に喜んでいました。

朗読について

平家物語は事象の因果関係をかなり単純化してとらえます。
平家一の智者、重盛の死から平家の凋落が始まる…おおざっぱで、わかりやすい解釈です。
平家の運命はこのあたりから(物語上)下降線をたどることになるのです。

それにしても、父親が「医者にかかれ」と言った一言に対してこれだけ滔々と、長く いかめしい反論が来るのです!
重盛は言葉が豊かなだけに、やっかいです。中国やインドの故事を縦横無尽に引用しまくって、 「国の恥」と渡来の医者を退けるのです。

重盛の主張は現代の感覚からするとサッパリ理解不能ですが、平家物語が琵琶法師によって語られていた時代は、 涙を誘う、忠臣、お国のため…的な共感を呼んだのかもしれません。

しかし、「有無を言わさずぶっ叩いて病院にほり込めばいいのに…」と思わずにはいられませんでした。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

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