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平家物語巻第七より「清水冠者(しみずの かんじゃ)」です。
義仲は嫡子の清水冠者義重(しみずのかんじゃ よししげ)を、意趣なき証として頼朝へ差出します。
あらすじ
寿永二年三月上旬、頼朝と義仲が対立することがありました。
頼朝は信濃の国へ発向し、義仲は信濃と越後の境、熊坂山に陣を取ります。
義仲は今井四郎兼平を頼朝の元に遣わし、争うつもりは無いと訴えますが、
頼朝は信用せず、早くも討手を出発させます。
義仲は身に意趣無き証として、嫡子清水冠者義重(しみずのかんじゃ よししげ。義高、義基など諸説あり)を頼朝の元に送ります。
頼朝は「ならば子にしよう」と喜び、鎌倉へ引き上げました。
「清水冠者」について
数奇な運命をたどった木曽義仲の嫡子、清水冠者義重(義高)ですが、
平家物語ではこの「清水冠者」の章でサラリと触れるのみです。
一方、「吾妻鏡」には詳しく記述されています。
頼朝は義重(義隆)を長女、大姫の許婚としますが、木曽義仲が討たれた後、わずか11歳で義重(義隆)は斬られ、大姫は6歳で婚約者を
失います。
それ以降大姫は病につき、数年で亡くなってしまいます。
この悲劇は後の人々の涙をさそいました。
室町時代に書かれた「清水冠者物語」をはじめとして義重(義隆)と大姫の悲恋を題材とする物語は今日まで創作され続けています。