二代后

平家物語:二代后 朗読mp3

平家物語巻第一より「二代后(にだいの きさき)」です。
一代を隔てて二代の天皇の后となった多子(たし)の数奇な運命を描きます。


あらすじ

昔から源平両家は朝廷に召し使われていましたが、 保元、平治の争乱の後は源氏は落ちぶれ、平家のみ繁盛しました。

しかし鳥羽の院御崩御の後は、世の中がざわつきだし、永暦、應保の頃から 内(天皇)と院(上皇)の不仲が目立ってきました。

二条天皇は、後白河上皇のいいつけにことごとく背きましたが、 中でも世の中を仰天させる事件がありました。

先々代の天皇(近衛天皇)の后、太皇太后宮多子(たいこうたいこくう たし)は天下第一の美人の聞こえがありましたが、近衛天皇崩御の後は、近衛河原の御所でひっそりと暮らしていました。

二条天皇は多子の元に艶書を送り、無視されると 多子の父右大臣公能(きんよし)に「多子を后として入内させよ」と宣旨を下します。

公卿詮議して、「二代に渡り天皇の后につくことは先例がない」と上皇に訴えますが、 二条天皇は聞き入れず、強引に入内を決めてしまいました。

多子は近衛天皇のことを思い、涙にくれます。父の慰めも耳に入りません。

うき節に 沈みもやらで 河竹の 世にためしなき名をや 流さんむ
(川辺の竹が沈むこともできずに水に身をさらしているように、 近衛天皇崩御の時出家もせずに、今こうして世に憂き名を流しています 「うき節に 沈みもやらで 河竹の」までが、「世」を引き出す序詞。)

多子はやむなく入内します。
宮中には近衛天皇の生前の面影が多く残っていました。

思いきや うき身ながらに めぐりきて おなじ雲の月を見むとは
(思いもしなかったよ。 こんな悲しい身でまた宮中に戻ってきて雲間の月を見ようとは)

多子は、巻第五「月見」で、近衛河原の大宮(こんえがわらの おおみや)の呼び名で登場し、印象深い役割を演じます。

朗読について

平家物語の前半は、こういう皇室がらみの地味ーな記事が多く、 マジメに読んだことが無かったです。

朗読のために、はじめて読みました。系図を見ながら、ようやく理解できました。

76代近衛天皇− 77代後白河天皇 − 78代二条天皇

↑76と78の后になったわけです。77と78が親子です。

今と違い、昔は天皇一代の治世が短かったのです。
近衛天皇崩御が1155年、多子の二条天皇への入内が1160年、わずか5年の間に二回も后を体験したわけです。

風邪が治りかけの時で、「声が割れないかな、大丈夫かな」とビクビクしながら朗読したような記憶があります。

posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

【発売中】はじめての平家物語〜木曽義仲篇

はじめての平家物語〜木曽義仲篇

院の御所法住寺殿を焼き討ちにした義仲は天下に孤立。後白河法皇は頼朝に義仲追討の院宣を下し、範頼・義経両軍が京都へ攻め寄せます。義仲が朝敵となったことで、それまで義仲に従ってきた者も次々と去っていきます。そんな中、股肱の臣たる今井兼平、樋口兼光、巴らはあくまで義仲への忠義をつらぬきます。 詳しくはこちら


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。