朗読 平家物語平家繁栄 俊寛沙汰 鵜川軍

俊寛沙汰 鵜川軍

平家物語:俊寛沙汰 鵜川軍 朗読mp3

平家物語巻第一より「俊寛沙汰 鵜川軍(しゅんかんのさた うがわのいくさ)」です。
加賀国の目代、近藤判官師経が地元の寺を刺激したため、結果として比叡山の僧兵たちが 京都へ乱入する大事件に発展します。


あらすじ

新大納言成親が中心となって進めていた鹿ケ谷の陰謀(「鹿谷」)に、法勝寺の執行俊寛(ほっしょうじのしゅぎょう しゅんかん)も参加していました。
この俊寛は、京極の源大納言雅俊卿の孫で、祖父に似て気性の荒い人でした。

陰謀の首謀者成親は多田蔵人行綱(ただのくらんど ゆきつな)に、「決行の際は一方の大将 になってくれ」と、弓袋にするための 白布を五十反渡します。
(後にこの多田蔵人の内部告発で鹿ケ谷の陰謀は発覚します(「西光被斬」))


安元三(1177)年三月五日、内大臣藤原師長(妙音院殿)が太政大臣に昇進します。

藤原師長の家系では、本来左大臣までしか許されていないのですが、父の悪左頼長が 左大臣の時に保元の乱を起こした先例をはばかって、左大臣を飛ばして太政大臣に なったのです。

これによって内大臣の席が空き、大納言定房卿を越して平重盛が近衛大将兼任のまま 内大臣に昇進しました。


北面武士(ほくめんのぶし)は、白河院の時初めて設置されました。
上皇の身辺を警護する、武士のことです。
院の御所の北面に詰所があったので、北面武士と呼ばれました。

その北面武士の中に、少納言入道信西が召し使っていた師光、成景という者がいました。
信西が平治の乱で討たれると、出家して西光、西敬と名乗ります。

その西光の子に、師高(もろたか)という者がいました。
加賀守に就任しますが、当地でやりたい放題。神社・仏寺などの所領を没収します。

また、師高の弟、近藤判官師経(こんどうほうがん もろつね)が、加賀国の目代(代官)に 就任します。

師経が加賀の国府に着いたとき、鵜川寺という寺で地元の僧たちが風呂に入っていました。
そこへ師経らが乱入し、僧たちと小競り合いになります。

師経はいったん退きますが、夜になって数千騎で鵜川寺に押し寄せ、僧房を焼き払います。

鵜川寺は白山の末寺です。白山三社八院の大衆は怒り狂い、二千余人で師経の館へ押し寄せま す。
師経、かなわじと見て京都へ逃げます。

白山の大衆が砦に討ち入ると、中はもぬけの殻でした。
ならば延暦寺に直訴しようと、白山の神輿を振り上げて、比叡山西坂本へ向かうのでした。

朗読について

ようは、「寺社勢力を怒らせちゃった」という話です。
近藤判官師経という無分別な代官が、寺社勢力にケンカ売っちゃったのです。
僧兵たちが怒り狂って京都の街に乱入してくるわけです。
お神輿をワッショイワッショイ、押し寄せるのです。

いくつかの話題が絡み合って、わかりにくい章です。
鹿ケ谷事件の話と、山門がらみのゴタゴタの話が平行して進むので、理解を難しくしてます。

普段はすっとばしていたのですが朗読のために初めてマジメに読みました。
えらい元気よく朗読してますが、コンプレッサーが直ったのと、風邪が治ったのが原因です。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

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