座主流

平家物語:座主流 朗読mp3

平家物語巻第二より「座主流(ざすながし)」です。
御輿を振りたてて内裏へ乱入した件の責任を問われ、天台座主明雲(てんだいざす めいうん)は 流罪となります。


あらすじ

加賀国の国司師高と目代師経と、地元の寺とのいざこざ(「俊寛沙汰 宇川軍」)は、 比叡山の大衆(だいしゅ)が内裏に御輿を振りたてて内裏へ乱入する大事件に発展しました (「御輿振」)。

治承元年五月五日、明雲座主はこの責任を問われ、宮中での役務を停止され、法会に参加する権利を剥奪されます。

これは「明雲の所領を国司師高が没収し、その意趣返しに明雲が比叡山の大衆を煽動したのだ」 と、西光法師父子が讒言したためです。
後白河法皇はお怒りになりました。

十一日、明雲に替わり覚快法親王が新座主になります。

十二日、明雲は水と火の使用を禁じられる、「水火の責め」を受けます。
都の人たちは、こんなことをすれば再度比叡山の大衆が乱入するのではないかと恐れます。

十八日、公卿詮議があって、明雲大僧正のような高僧を還俗、遠流されるのは忍びないという 意見が出ましたが、後白河法皇は明雲に対する怒りが解けませんでした。
僧の資格を剥奪し、「大納言大輔藤井の松枝」という俗名をつけ、遠流に処せられます。

この明雲大僧正は天下第一の高僧の聞こえ高く、天王寺、六勝寺の別当も兼任していました。

しかし陰陽頭安倍泰親は、「明雲という字は上に日月の光を輝かせているが(「明」の字を「日」と「月」に分ける) 下に雲を置いて、その輝きを見えなくしている」と、その前途を危ぶみました。

仁安元年、明雲が座主に就任した時、代々の座主のように中堂の宝蔵を開き、 開祖伝教大使(最澄)の文をご覧になりました。
そこには未来の座主の苗字が書かれているのです。
自分の所まで見て、次を見ずにしまうのが慣習です。
明雲もそうしたことでしょう。

二十一日、配所が伊豆の国と決まりまり、一切経谷の別院に移されます。
比叡山の大衆はこぞって、明雲を陥れた西光父子を呪詛しました。

二十三日、配所へ出発します。
澄憲法院は泣く泣く明雲を粟津まで送ります。
明雲は澄憲に一心三観の観想法を授けました。

山門の大衆は、明雲大僧正に対する処分に憤ります。
大挙して東坂本へ押し寄せます。

朗読について

友人のマンションで録音させてもらいました。
国道沿いで車や工事の音が酷く、大変でした。
ノイズゲートをかけているからややごまかせているものの、ちょっと雑音がひどいです。
雑音に張り合う気持ちで腹の底から声を出しています。うるさいかもしれません。

明雲が都を去る際、後ろを振り返り振り返り涙する描写が、しみじみしました。

大津の打出の浜にもなりしかば、文殊楼の軒端のしろじろとして見えけるを、二目とも見給はず、 袖をかほにおしあてて、涙にむせび給ひけり。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

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