朗読 平家物語平家繁栄 大納言流罪

大納言流罪

平家物語:大納言流罪 朗読mp3

平家物語巻第二より「大納言流罪(だいなごんるざい)」です。
鹿谷の陰謀の首謀者として身柄を拘束さた新大納言成親(しんだいなごん なりちか)は、 備前の児島へ流罪となります。


あらすじ

新大納言成親卿が中心となって進めていた平家に対するクーデター、鹿谷の陰謀(「鹿谷」)は、 内部告発によって発覚します。
新大納言は身柄を拘束されます(「西光被漸」)。

六月二日、新大納言は車に乗せられ、武士たちに囲まれて護送されます。
「今一度小松殿(重盛)に会わせてくれ」という願いも聞き入れられません。
道すがら、牛飼い、雑人にいたるまで涙を流しました。

新大納言は警護の武士の一人、難波次郎経遠に「このあたりに私の知り合いがあれば、ことづけを頼みたい」と言いますが、 名乗り出るものは一人もありませんでした。

新大納言はかつて一二千人もの人を従えていたことを思い、状況がかわったことを あらためて実感するのでした。

その日は、摂津の国大物の浦(現兵庫県尼崎市の海岸)に着きます。

新大納言が死罪を流罪に減ぜられたのは、重盛のとりはからいなのですが、 この人は中納言の時にも流罪になったことがありました。

嘉応元年(六年前)、成親が中納言として美濃国を知行していた頃のこと。
目代(代官)右衛門尉正友が地元の神人(じんにん。神社に奉仕する人)ともめごとを起した末に十余人を殺害する事件がありました。

山門の大衆は、国司成親と目代正友の処分を求め、朝廷へ訴えます。
成親は備中国へ流罪と決まり、 すでに配所へ向かっていたところ、後白河法皇から赦免の書状がとどき釈放となります。
山門の大衆は成親らを呪詛しました。

しかし成親は順調に出世します。
当然そのポストにつくべき人々をも追い越して、出世を重ねます。
人々は山門の呪詛のあてにならないことを嘲りましたが、今になってその呪詛が 功を奏し、流罪となったのでしょうか。
神罰も呪詛も、早く現れることもあれば、遅れて出てくることもあるものです。

同三日、新大納言を備前の児島に流せとの使いが京から届きます。
また、重盛から文がありました。
「なんとか都近い山里にととりなしたのですが、こんな結果となって 申し訳ない。しかし、命ばかりはお助けできました」と、文がありました。

「前回流されかけた時は、法皇のご赦免があった。
今度はそもそも法皇の御処罰ですらないのに、なぜこんなことになってしまうのだ」
新大納言は嘆き悲しみます。

長い船旅の末、一行は備前の児島に着きます。
後ろは山、前は海、見るからに侘しい場所でした。

朗読について

実家で朗読しました。声が思いっきり出せて気持ちよかったです。
また、朗読の合間に好きなだけ休憩をはさめるのが素晴らしいことです。
(いつも会場を借りて時間に追われて録音しているので)

本当に呼吸や発声がよければ何時間朗読しても声は荒れないのでしょうが、 自分にはまだ合間の休憩が不可欠なのです。

この「大納言流罪」は、前の「西光被漸」といい対照になっています。
西光の毅然とした態度と、成親の挙動不審っぷり。現実を受け入れられない 様子。この対比がいいです。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄

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