大原御幸

平家物語:大原御幸 朗読mp3(一)
平家物語:大原御幸 朗読mp3(二)

平家物語灌頂巻より「大原御幸(おおはらごこう)」です。
源平合戦終結後、後白河法皇は大原寂光院で一門の菩提をと弔っていた建礼門院徳子を訪ねます。数度目の再録です。


あらすじ

源平合戦終結後、生き延びた建礼門院平徳子は出家し(「女院出家」)、 大原の寂光院にこもります(「大原入」)。

文治二年の初夏、後白河法皇は寂光院に徳子を訪ねます。
後徳大寺実定など公卿六人、殿上人八人のみをお供とした、忍びの御幸でした。

寂光院は古びて由緒ありげなたたずまいでした。
池の水には桜の花びらが散り敷いています。

池水に 水際の桜散りしきて 浪の花こそ さかりなりけれ
(かつて咲き誇っていた春の桜が、今は池の水面に散って見事な花をさかせているよ)

女院の御庵室は、蔦朝顔や忍草が繁り葺き板もまばらな、侘しげな庵でした。

法皇が人を呼ぶと、老い衰えた尼が一人出てきます。
徳子は留守でした。
法皇は忘れていましたが老尼は紀伊の二位の娘、阿波の内侍でした。
阿波の内侍は法皇が自分とわからなかったことに身の衰えを実感し、さめざめと泣きます。

女院の御庵室をご覧になると、大江の貞元法師が清涼山にて歌った歌の横に、徳子自身の歌も書かれていました。

おもひきや み山のおくにすまひして 雲井の月を よそに見んとは
(思いもしなかったよ。こんな山奥に住まって、かつて宮中で見ていた雲間の月を、 こんな寂れた場所から見ることになろうとは)

御寝所もたいへん侘しげな状況で、徳子が中宮であったころ、その華やかな様子を 間近に見ていたお供の人たちは、涙を流すのでした。

そうこうするうち、山の上から二人の尼が降りてきます。
徳子と、先帝の乳母、大納言佐(だいなごんのすけ)です。

徳子は後白河法皇の訪問に驚き、変わり果てた自分の姿を恥じますが、どこかに隠れるわけにもいかず ただ呆然とたたずむのでした。


数度目の再録です。「忠教都落」と並んで、強敵ですが、だいぶ聴けるものになってきた気がします。

豊かな自然描写、後白河法皇と阿波の内侍の心理的なやりとり…淡々とした中にも味わい深い章です。朗読しがいもあります。

前回はむやみにがなり立ててる感じだったので、情緒が出るよう朗読してみました。

建礼門院徳子が出家したとはいえ、けして俗な気持ちを棄てきらず、まだまだこの世に未練がある様子が人間くさいと思いました。

平家物語はけして徳子を美化せず、欠点の多い生身の人間として描いています。

庭の若草繁りあい、青柳糸をみだりつつ、池の浮草浪にただよい、錦をさらすかとあやまたる。
中島の松にかかれる藤波の、うら紫にさける色、青葉まじりの遅桜、初花よりもめづらしく、 岸の山吹咲き乱れ、八重立つ雲のたえまより、山ほととぎすの一声も、君の御幸を待ち顔なり。


春の寂光院の美しい風景描写、見事です。
「大原御幸」のこの部分で、山吹が大好きになりました。

この後、「六道之沙汰」で徳子は後白河法皇に切々と自分の思いを語ります。

この徳子の語りは平家物語全体の要約ともとれます。出家したとはいえこの世への執着がとれない徳子が、後白河法皇に過去を「語る」ことによって心の開放を得る。「平家物語」が平家一門の菩提を弔うための「語り物」としての側面があったことと重なるようで興味深いです。

しかも、語る相手が平家を滅亡に追いやった張本人、後白河法皇というのが ドラマチックです。

「人形劇平家物語」では、後白河法皇が清盛の好きだった香を徳子に届け、 「それは徳子にとって、父清盛そのものの香りでした」みたいなナレーションが入って ゾクゾクした憶えがあります。

ちゃっかり源平合戦を生き延びた徳大寺が後白河の側近として登場している のもポイントです。
徳大寺は、「徳大寺厳島詣」「月見」で、風流な役柄を持っていきます。

与謝野晶子が寂光院の徳子のことを歌に詠んでいます。

ほととぎす 治承寿永のおん国母(こくも) 三十にして経読ます寺
春の夜に 小雨そぼふる大原や 花に狐の ぬる寂光院

大原寂光院は京都の北東に位置する天台宗の尼寺です。現在でも紅葉の季節にはスゴイ人だかりです。山号は清香山、寺号は玉泉寺、 聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔うとめ建立されたといいます。

大原から京都の町に薪や木工品などを頭に載せ売りに来る大原女(おはらめ) という女性がありましたが、この大原女の起源は建礼門院のために阿波の内侍が 薪などを売って歩いたことにあるといいます。

今でも大原で毎年五月には大原女まつりが開催されてます。 三千院から寂光院まで大原女の格好をした女性が歩きます。


posted by 左大臣光永 | 平家断絶

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