朗読 平家物語平家物語関連 奥の細道 小松

奥の細道 小松

奥の細道:小松 朗読mp3

俳人松雄芭蕉は「奥の細道」の旅の中で平家物語ゆかりの地を多く訪れています。
この「小松」の章では、斉藤別当実盛の甲がまつられた、太田神社(現石川県小松市)を訪ねます。

関連:
実盛木曽最期樋口被誅罰  / 奥の細道 朗読

本文

小松と云所にて

しほらしき名や小松吹萩すゝき

此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。

 

むざんやな甲の下のきりぎりす

解説

松尾芭蕉の生きた元禄年間(1688〜1703)は、斉藤別当実盛や、源義朝という名前はごく一般的な知識でした。
歌舞伎や浄瑠璃という形で、庶民は平家物語のエピソードに触れたのです。

芭蕉も、平家物語によほどロマンを感じていたらしく、 「奥の細道」の旅で、義経主従が討死した奥州の高館や、義経の忠臣佐藤継信の旧跡など、 平家物語ゆかりの地を多く訪ねています。

芭蕉は平家物語の人物中でも特に木曽義仲に心酔していました。

木曽殿と 背(せなか)あはする 夜寒哉
義仲の 寝覚めの山か 月悲し
木曾の情 雪や生えぬく 春の草

など、義仲がらみの句を多く詠んでいます。
死後は当人の希望で、大津の義仲寺に、義仲の墓と隣り合わせに墓が建てられたほどです。

この「小松」の章で、芭蕉は斉藤別当実盛(「 実盛」)の甲、直垂が奉納された太田神社を訪ね、 その熱い思いを綴っています。
現石川県小松市です。

むざんやな 甲の下の きりぎりす」の句は、平家物語「 実盛」の章で、樋口次郎兼光が斉藤別当実盛の首を認めたときに 漏らした言葉、

あなむざん斉藤別当で候つれ

を踏まえています。
ちなみに古文の授業で必ず習うことですが、「きりぎりす」は、今でいうコオロギのことです。

芭蕉は文体にも工夫を凝らしています。「目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの…」このあたり、 いかにも軍記物的な、歯切れのいい語り口になっています。

posted by 左大臣光永 | 平家物語関連

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