嗣信最期

平家物語:嗣信最期(一) 朗読mp3
平家物語:嗣信最期(二) 朗読mp3

平家物語巻第十一より「嗣信最期(つぎのぶの さいご)」です。
佐藤嗣信(継信)は、屋島の戦場で能登守教経の矢から義経をかばい、絶命します。


あらすじ

屋島で平家軍の前に現れた源義経以下、源氏の侍たちは次々と名乗りを上げます。後藤兵衛実基は、内裏に紛れ入り、火を放ちます。

宗盛は能登守教経に命じて応戦させます。 教経配下の越中次郎兵衛盛次と、義経配下の伊勢三郎義盛との間で罵り合った後、矢合せが始まります。

教経は義経を射殺そうと矢を放ちますが、部下たちが立ちふさがり、義経を守ります。

しかし教経の矢は真っ先に進んできた佐藤三郎兵衛嗣信の肩を射通します。 教経の童、菊王丸が嗣信の首をとろうと駆け寄ると、嗣信の弟忠信が矢を放ち、菊王丸を射抜きます。

教経は菊王丸の体を引っさげて舟へ戻りますが、菊王丸は致命傷を負っており、絶命しました。

この菊王丸は元越前三位通盛の童でしたが、通盛が討たれた後は弟の教経に仕えていたのです。 菊王丸の死にショックを受けた教経は、追撃をしませんでした。

一方、嗣信は義経に見守られながら、絶命します。 義経は近くの寺に愛馬大夫黒を納め、嗣信の供養を願います。

それを見た侍たちは、「この主人のために命を落とすことは、露塵ほども惜しくない」と 涙を流しました。

朗読について

義経の忠臣として知られる佐藤三郎兵衛嗣信の死です。 佐藤兄弟は、奥州の藤原秀衡の命令で義経軍に加わっていました。

合戦前の罵り合いは、たいへん朗読しがいのある所です。大好きです。 思いっきり相手をバカにして、下品に、育ちの悪そうな声で、やるべきです。

義経の情に厚いところが描かれます。これに先立つ「逆櫓」や、続く「那須与一」では、どちらかというと 乱暴な、勢いに任せてゴリ押しな感じですが、こう…熱く手を取って、部下を看取る。 シミジミと、いいシーンです。

嗣信の弟、忠信については平家物語はあまり描写していません。

頼朝の放った刺客、土佐房正俊とやりあったこと、吉野山で義経一行を襲ってきた僧兵と戦ったことなど、エピソードは 多いはずですが、なぜか「土佐房被斬」にも「判官都落」にも忠信の活躍が抜け落ちています。 不思議です。

ただし室町時代に書かれた「義経記」では吉野から京へ取って返し、義経の身代わりとなって討ち死にするなど、大活躍の場を与えられています。この「義経記」の忠信像が、後に浄瑠璃「義経千本桜」の「狐忠信」へ つながっていきます。

佐藤継信・忠信兄弟の妻(楓と初音)は、夫が戦死した際、その鎧を着て遺された母をなぐさめたということで、 戦前は国定教科書に採り上げられ、孝女の鑑のように扱われました。
松雄芭蕉は「奥の細道」の旅でこの佐藤兄弟の史跡を訪ねています(「奥の細道 佐藤庄司が旧跡」)。


posted by 左大臣光永 | 屋島・壇ノ浦

【発売中】はじめての平家物語〜木曽義仲篇

はじめての平家物語〜木曽義仲篇

院の御所法住寺殿を焼き討ちにした義仲は天下に孤立。後白河法皇は頼朝に義仲追討の院宣を下し、範頼・義経両軍が京都へ攻め寄せます。義仲が朝敵となったことで、それまで義仲に従ってきた者も次々と去っていきます。そんな中、股肱の臣たる今井兼平、樋口兼光、巴らはあくまで義仲への忠義をつらぬきます。 詳しくはこちら


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。