老馬

平家物語:老馬 朗読mp3

平家物語巻第九より「老馬(ろうば)」です。
義経軍は一の谷鵯越の奇襲作戦のため、不案内な道を進みます。
別府小太郎の進言で老いた馬を先立てて進め、その後についていきます。
また、義経に最後まで付き従うことになる鷲尾三郎義久(わしのおさぶろう よしひさ)が初登場します。


あらすじ

源氏の夜襲により平家は散々に蹴散らされました(「三草合戦」)。

大臣殿(宗盛)は山の手方面への援軍を求めますが、みな義経を恐れて辞退しました。

そこで宗盛は頼みの綱の教経に援軍を要請。教経はこれを快諾します。

教経とその兄越前三位通盛が山の手を固めます。
通盛は仮屋に北の方を呼んで名残を惜しんでいました。
教経はその惰弱な態度に怒りました。

寿永三年二月五日の暮れ方、源氏は生田の森に攻め近づき、威嚇のため火をたきます。
平家も負けじと火をたき、源平の火が月のように星のように見えるのでした。
「沢辺の蛍」(注)と古い歌にあるような風情でした。

同六日の明け方、義経は軍を二手に分けます。
まず土肥次郎実平の七千余騎を一の谷の西の手へ向かわせ、自ら指揮する三千余騎は鵯越から奇襲をかけるため 丹波路を進みます。

不案内な路なので、義経配下の人々は動揺していました。
平山季重(ひらやま すえしげ)が案内を申し出ますが、平山は東国育ち。今日初めて入った 山の案内など、あてにならない話です。

「歌人が吉野・泊瀬に行ったことがなくても歌が詠めるように、豪傑は未経験でも案内できるものです」と メチャクチャな理論です。

別府小太郎が発言します。
「父が言うには、深山で迷った時は老馬に手綱をかけて(つまり人が乗らないで)歩ませれば いずれ人里に出るということです」

義経は別府小太郎の案を採用し、老馬を先立て、深山を進みます。

そこへ武蔵房弁慶が現地の猟師を連れてきます。
義経が鵯越を駆け下りて一の谷の城郭に奇襲をかける作戦を話すと、猟師は無理だと答えます。
しかし義経は、鹿が往来するな路なら無理なはずがあるかと案内を頼みます。

猟師は、息子の熊王を案内として義経につけます。

熊王は後に義経のもとで元服し、鷲尾三郎義久(わしのおさぶろう よしひさ)と名乗ります。

この義久は義経に忠実に従い、最後は主君とともに奥州の高舘で討死しました。

(注)
沢辺の蛍:

伊勢物語八十七段「布引の滝」より
晴るる夜の ほしか川辺の 蛍かも わがすむかたの あまのたく火か
(意味)晴れた夜の星か、川辺の蛍か。私の住む芦屋の方角に見える海女の漁火がそのように見える

朗読について

義経の坂落しとして知られる、鵯越奇襲作戦(「坂落」)に先駆け、深山を進軍する 義経一行です。

いまだ知らぬ深山へこそ入り給へ。
ころはきさらぎはじめの事なれば、 峰の雪むら消えて、花かと見ゆる所もあり。
谷の鶯おとづれて、霞にまよふところもあり。
のぼれば白雲皓々(こうこう)として聳(そび)え、 下れば青山峨々(せいざんがが)として岸たかし。
松の雪だに消えやらで、苔のほそ道かすかなり。
嵐にたぐふ折々は、梅花とも又うたがわるれ。


こういう風景描写は、実にカッコいいです。いい雰囲気出してます。
「のぼれば〜下れば」と対句を踏んでるのにも注目したい。

春になり、暖かくなり、声が出やすかったです。冬の間は声が枯れやすかったのです。
そして、腹の底から声を出さなければダメだと確信しました。

大きな声をだすと、完成した音源(mp3)がとてもうるさかったのです。
耳をつんざく不快感があり、そのため弱腰になっていました。

声を抑えよう、抑えようとしていました。しかしこれは間違いでした。

うるさいのは、コンプレッサーをかけすぎていたためと思われます。
音のピークを潰しすぎました。
コンプレッサーの設定を弱くしたら、大声でも聞きやすくなりました。

(注)コンプレッサーとは、大きすぎる音を小さくし、小さすぎる音を大きくして、音の粒を揃える機械です。

思いっきり声を出すという姿勢そのものは、間違ってないと思います。
特に平家物語のようなえらそうなテキストでは、イジケた声では台無しです。


posted by 左大臣光永 | 一の谷

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