大衆揃

平家物語:大衆揃 朗読mp3

平家物語巻第四より「大衆揃(だいしゅぞろえ)」です。
以仁王は興福寺と合流するため、大衆を率いて三井寺を出発します。


あらすじ

長評定が続いていた三井寺の大衆も、ようやく夜討ちに出発することで意見がまとまります(「永僉議」)。

搦手の源三位入道頼政、大手の伊豆守仲綱に別れ、三井寺を出発します。

逢坂の関にかかった頃、鶏が鳴きます。
夜討ちをかける計画だったのに、これでは昼になってしまいます。

円満院大夫源覚は、孟嘗君が配下の者に鶏の鳴きまねをさせ函谷関の門を開けさせた故事(補)を引き、これも敵のはかりごとに違いないと 主張しますが、結局夜は明けてしまいます。

伊豆の守は、昼間の戦となれば六波羅には適わないと判断。先発した軍勢を呼び返します。

三井寺の若大衆は、「夜が明けたのは一如房阿闍梨慶秀が詮議を長引かせたせいだ」と、慶秀の僧房を打ち壊します。
慶秀は六波羅へ逃げ延びて、このことを訴えますが、六波羅ではすでに軍兵を整え、万全の構えでした。

同二十三日の暁、以仁王は南都(興福寺)の助力を求めて三井寺を出発します。

そのとき以仁王は蝉折・小枝という笛をお持ちになりました。

この蝉折は、鳥羽院の時代に宋朝より日本に贈られたものです。
蝉のような節がついていました。
ある時高松の中納言実平卿という方がこの笛を吹いたとき、 普通の笛と同じように膝より下に置いたところ、笛が無礼をとがめたのか、節の所で折れてしまいます。
この逸話から「蝉折」と呼ばれることとなりました。

以仁王は、老僧たちに暇を出します。 若大衆、悪僧、源三位入道一族を合わせて以仁王が率いるのは一千人ほどでした。

乗円房阿闍梨慶秀は、自分は年寄りで助力できないが、長年息子のように育ててきた刑部卿俊秀を以仁王に託します。
以仁王は涙を流して快諾します。

孟嘗君の故事

姓は田、名は文。孟嘗君は死後の贈名です。
多数の食客を養っていました。

紀元前299年秦の昭襄王の宰相となりますが、 昭襄王は臣下の進言により孟嘗君に疑いを持ちはじめ、謀殺しようとします。

孟嘗君は昭襄王の愛妾に釈放を求めます。すると愛妾は、狐白裘を差し出せと言います。

狐白裘とは、狐の白い毛だけを使って編んだ高価な衣のことです。
孟嘗君はすでに狐白裘を昭襄王に献上しており、ほかには無いのです。

そこへ食客の一人狗盗(「泥棒」の意)が名乗り出て、昭襄王の蔵から狐白裘を 盗み出してきます。
これを昭襄王の愛妾に私、そのとりなしで孟嘗君の屋敷は包囲を解かれました。

昭襄王がいつ心変わりするかわからないと判断した孟嘗君は夜半屋敷を抜け出し、帰国の途に つきます。
国境の函谷関にさしかかる頃には、すでに昭襄王の追っ手が迫っていました。
函谷関は朝、鶏の声がするまで開けない規則でした。

孟嘗君が困っていると、配下の物まねの名人が名乗り出ます。
彼が鶏の鳴きまねをすると、それにつられて 本当の鶏も鳴き出し、「朝が来た」と錯覚した関守は函谷関を開き、孟嘗君一行は無事関を 通過することができたという話です。

四字熟語「鶏鳴狗盗」の語源ともなったエピソードです。
孟嘗君は、このように普通には無駄と思える芸を持った者をもないがしろに しなかったから、窮地を脱することができた、つまらないものでも、どこかに使いどころ があるという意です。

この故事を踏まえた清少納言の歌も有名です。

夜をこめて 鳥の空音ははかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ

百人一首の六十二番目に取られています。
函谷関で孟嘗君が鶏の鳴きまねをして門を開けさせたように私と会って一線を越そうとしても、 そうはいきませんわ、という意です。
男の誘いを、漢文の素養を活かして咄嗟に切り返しているわけです。
実にツンツンした、清少納言らしい歌です。素晴らしい。


posted by 左大臣光永 | 平家凋落

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