朗読 平家物語一の谷 重衡生捕

重衡生捕

平家物語:重衡生捕 朗読mp3

平家物語巻第九より「重衡生捕(しげひらいけどり)」です。
三位中将重衡(さんみのちゅうじょう しげひら)は、一の谷の合戦のさなか、敵に生捕りになります。声枯れを正し、再録しました。


あらすじ

義経の奇襲(「坂落」)により、平家軍は散り散りになって落ちていきます。
その中に三位中将重衡(さんみのちゅうじょう しげひら)、その乳母子後藤 兵衛盛長(ごとうびょうえ もりなが)主従の姿がありました。

重衡主従の馬は大変な駿馬だったので、敵の追撃を振り切り逃げ延びていきましたが、梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)の遠矢が 重衡の馬【童子鹿毛】を射抜きます。

後藤兵衛盛長は、主人の馬が射られた以上、自分の馬【夜目なし月毛】を進上させられるだろうと 考え、重衡を見捨てて逃亡します。

残された重衡は、みぎわに降り、自害しようとしますが、そこへ敵の庄の四郎高家が 走ってきて、自害を踏みとどまらせます。
自分の馬に重衡を乗せ、味方の陣へ連れ帰るのでした。

後藤兵衛盛長はそこを逃げ延びて、熊野法師、尾中の法橋(おなかの ほっきょう)の元に身を寄せます。
法橋が死んだ後、後家の尼公(にこう)が訴訟のために都に登った際、盛長も付き添いました。

重衡の乳母子である盛長の顔は広く知られていたので、人々は「主人を見捨てて逃げた恥知らずよ」と 軽蔑しました。

この時は盛長もさすがに恥ずかしく、扇で顔を隠したということです。

乳母子(めのとご)について

「乳母子(めのとご)」とは、文字通り乳母の子のことです。

貴族の家などでは子供を育てるのに乳母を雇うことがありましたが、その世話を受ける養い子と乳母の子とは おおかた年齢が近いこともあり、特別の絆で結ばれることが多かったようです。

平家物語では「木曽最期」に見える木曽義仲と今井兼平の関係が印象深いです。
義仲は最後まで従ってきた巴御前をアッサリ振り、今井兼平との最後を選ぶのです。

源氏物語の惟光(これみつ)も乳母子の著名な例です。
惟光は光源氏の乳母子です。源氏を実の兄のように慕う、好青年です。 特に源氏と夕顔が出会うくだりで活躍します。

おそらく重衡と盛長も、木に登ったり乗馬をしたり微笑ましい少年時代を 共有したのでしょう。

平家物語では主人を見捨てた裏切り者として描かれていますが、恥ずかしげに扇で顔を隠す ところなど、ちょっと可哀想な気もします。


posted by 左大臣光永 | 一の谷

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