朗読 平家物語木曽義仲の台頭 征夷大将軍院宣

征夷大将軍院宣

平家物語:征夷大将軍院宣 朗読mp3

平家物語巻第八より「征夷大将軍院宣(せいいたいしょうぐんの いんぜん)」です。
頼朝が征夷大将軍に任じられます。


あらすじ

都を落ち延びた平家が九州を流浪していた頃、 頼朝は鎌倉で征夷大将軍の宣旨を受け取ります。

都よりの使者は左史生中原泰定(さししょう なかはらの やすさだ)。 寿永二年十月十四日到着します。

頼朝は院宣を受け取る場所として鶴が岡八幡宮を指定。三浦義澄に 受け取らせます。義澄の父、義明は先年石橋山で頼朝が最初の合戦をした際、討死していました。
今回義澄が院宣受け取り役に指名されたのは、父義明の魂を弔い、華を持たせる意味も意味も含んでいました。

頼朝は院宣を拝受し、返礼として紗金を送ります。

次の日、中原泰定は頼朝の私邸で接待を受けます。頼朝は顔が大きく 背は低いのですが、容貌は優美で、言葉づかいは訛りなく明瞭でした。

頼朝の威勢を恐れて平家は都を去ったのに、その後に木曽の冠者、 十郎蔵人が都に入り、まるで自分の手柄のように振る舞い、また 拝領した国についてえり好みを言い出す始末。けしからんと頼朝は怒ります。

また、頼朝の命令に従わない奥州の藤原秀衡、常陸の佐竹高義追討の 院宣を求めます。

泰定はさらに一日引きとめられ、頼朝から沢山の引き出物をもらい、 都へ帰ります。


教科書で「頼朝、征夷大将軍になる」と無味乾燥とした言葉で説明 されている出来事が、具体的にどんな状況だったのか、どういう人間が動き、 どんなプロセスで物事が進行したか。よく伝わってくる章です。

院宣を入れた箱が返ってきたら、そこに紗金が入れてあったとか、細かい描写が リアルです。 まるで鶴が丘八幡宮の見物人としてその場に紛れ込んだように、まざまざと情景が浮かぶのです。

日本史の教科書でおなじみの「いいくに作ろう鎌倉幕府」ですが、 平家物語の年号は、建久3(1192)ではなく、寿永二年(1183)となっています。

頼朝がなぜ「征夷大将軍」という役職を望んだかについては諸説あり、 ハッキリしていません。平家物語の中でも明瞭な理由は描かれていません。

古い教科書では、この頼朝が征夷大将軍に任じられた年をもって「鎌倉幕府の成立」と していましたが、今ではこの説は覆り、「何年を鎌倉幕府成立とするか」 については諸説あるようです。


posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭

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