鼓判官

平家物語巻第八より「鼓判官(つづみほうがん)」です。
平家を追い出し都入りした木曽義仲でしたが、すぐに院との関係が 悪化。合戦となります。

平家物語:鼓判官 朗読mp3(一)
平家物語:鼓判官 朗読mp3(二)

あらすじ

平家が都落ちしたのに替わり木曽義仲が都に入りますが、 義仲の部下は町中で乱暴の限りを尽くし、不評でした。平家のほうが まだマシだったという声も出ました。

後白河法皇は、狼藉をやめさせようと、義仲のもとに使いを送ります。 壱岐判官朝泰(いきのほうがん ともやす)という人物です。 鼓の名人で、「鼓判官」と呼ばれていました。

ところが義仲はその鼓判官という異名について朝泰を侮辱したので、朝泰は何も言わずに 院の御所に帰り、義仲を追討するよう法皇に要請します。

法皇は比叡山と三井寺にその役目を託し僧兵が招集されました。公卿・殿上人が 集めたのも、部類の徒で、ようするに正規の武士ではありませんでした。

義仲と院の関係が悪化したという噂が流れると、それまで義仲に従っていた 源氏たちも、義仲のもとを去り院方につきます。

今井四郎兼平は「天皇を敵に回して合戦をするつもりですか、早く降伏なさい」と義仲を諌めますが、 義仲は意地になって院方との合戦に踏み出します。

寿永二年十一月十九日、合戦が始まります。義仲軍が院の御所法住寺殿 に押し寄せると、鼓判官朝泰が築垣の上に立ち、異様な風貌でののしっています。 義仲軍は、法住寺殿に火を射かけます。

院方は鼓判官朝泰をはじめとして、大混乱の中に逃げていきます。

そこへ「落人があれば打ち殺せ」と院より指示を受けていたものたちが 屋根の上から石を投げつけ、容赦なく打ち殺します。

主水正親成(もんどうのかみ ちかなり)は今井四郎兼平に射殺されました。人々は、「明経道の博士 (経書を教える博士)が甲冑を着るなど、あってはならない」と人は言いました。

他にも多くの院方が討たれ、生捕りにされます。比叡山の天台座主 明雲大僧正、三井寺の長吏円慶法親王も、射殺されました。

刑部卿三位頼資卿(ぎょうぶきょうさんみ よりすけのきょう)は 義仲方の武士に衣装を剥ぎ取られ素っ裸で立っていた所を小舅の 越前法眼性意という僧が召し使っている雑用僧に助けられます。

この雑用僧は白子袖二枚に小袖を着ていました。どうせなら小袖を着せて やればよかったのに、なぜか衣を与えたので、頼資卿はだぶだぶで見苦しい風貌と なりました。

その上「あれは誰の家だここはどこだ」など質問しながらゆっくり歩いたので、人々は それを見て笑いました。

法皇は御輿に召されて逃げておられましたが、それを知らず義仲方の武士どもが 矢を射かけます。守護の者が「これは法皇の御輿だぞ」と言うと、武士 どもはかしこまり、すぐに五条内裏にお連れし、監禁しました。

四歳の後鳥羽天皇は、池に舟を浮かべて火から逃れていましたが、 義仲方の武士はそれにも矢を射かけます。守護のものが 「主上がお召しだぞ」と言うと、武士どもはかしこまり挨拶します。

そして閑院殿にお連れしました。天皇の行幸と言っても実質は 捕虜としての連行です。ひどい有様でした。


「鼓判官」という題ですが、当の鼓判官はアッという間に退場し、 義仲方と院方の凄惨な合戦の諸相が描かれます。しかし、こういうチラッと 登場する人物にも印象深いキャラクターづけがされている、平家物語です。

けっこう長い章で、しかも延々声を張り上げるので、気合が 入りました。久々にこんな激しい章を読みました。これぞ平家物語という 気がします。スカッとしました。

特に築地の上で踊り狂う鼓判官のヤケクソぎみなシャウトは、よく録れたと思います。

声を遠く(10メートルくらい先)に飛ばす感覚で朗読しました。 「マイクに声を叩き込む」という意識だと、近い範囲で声がこもるのです。喉が枯れやすい。イカンです。 目の前のマイクより、その先にある「聞き手」を意識せねばと思いました。


posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭
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