平家物語巻第七より「願書」です。木曽義仲は平家との合戦に先駆け その意気込みを願書にしたため八幡大菩薩に奉納します。
あらすじ
平家は加賀国篠原に、義仲は砥浪山のはずれ羽丹生(はにゅう)に布陣しました
(「火打合戦」)。
義仲は平家軍に正面からまともに当たれば勝ち目はない、策をもって
敵を山中に誘導し倶利伽羅谷へ追い落とそうと語ります。
平家軍は義仲の策に引っかかります。白旗がはためいているのを見て
大群と考え、正面衝突を避けて砥浪山の山中、猿の馬場というところに
移動します。
義仲は羽丹生に陣取り四方を見回すと、そこに八幡宮の社がありました。
義仲は喜び、手書(書記)の大夫房覚明(たゆうぼう かくみょう)に
命じて戦勝祈願の願書を書かせます。
大夫房覚明、もとは蔵人道広といい儒家の出身で勧学院(藤原氏のための学校)に
学びました。出家して最乗房信教と名乗ります。
昨年以仁王が三井寺へ逃げ込んだ際(「競」)南都へ協力要請の書状を送りましたが、その時に返事を書いた人物です(「南都牒状」)。
その返事の中で信教は清盛のことを「平氏の糟糠、武家の塵芥」(つまり
カスであると)ののしり、清盛の怒りを買います。
そのため信教は北国へ逃げ木曽義仲の手書きとなり大夫房覚明と名を変えていたのでした。
書状の大意:
清盛の暴悪は目に余るものがあります。私源義仲は運を天に任せて
挙兵したとはいえ合戦を前に兵士たちの士気が上がらぬ中、
ありがたくも八幡宮を拝する機会を得ました。
願いが聞き入れられること間違いないと見ます。私の先祖源義家は
その身を八幡宮の氏子としてささげ、「八幡太郎義家」と名乗りました。
その子孫である私も八幡宮をあつく崇めたてまつるのです。
打倒平家の志に対し私はあまりに非力です。しかし私を捨てて公の
ために行動を起しました。その気持ちは神に通じたと見ます。
もし聞き入れてくださるなら、一つのしるしを示してください…
…すると天から三羽の山鳩が飛んできて、源氏の白旗の上を飛び回りました。
その昔神宮皇后が新羅を攻めたとき、戦の次第が危ういところで皇后が天に
祈ると、三羽の鳩が飛んできて戦に勝ったという故事があります。
また義仲の先祖源頼義が前九年の役で安倍貞任・宗任を討った時は
頼義が「これは神火だ」と火を放つと風がたちまちに敵陣の方角に吹き
焼き尽くしたといいます。
義仲はこうした故事を知ったので馬から下りてうやうやしく鳩を拝しました。
手紙をバーーッと読み上げる、その内容がメインとなる章です。
「木曽山門牒状」や「勧進帳」に通じるものです。いかめしい言葉が
並びますが、ようは「平家をブッ潰しますんでよろしく」ということです。
義仲らしいまっすぐさが出ていて素晴らしいと思いつつ朗読しました。
平家物語の中でも手紙読み上げる話は大好きで、熱が入ります。
音が歪みまくりました。後で聴いていつもよりクリップが多いのに
驚きました。
クリップというのは音が機械の許容レベルを超えて「ゆがむ」ことです。
デジタル機器の場合は0デジベルが限界らしいです。
冷静に録音していれば声が大きいところはアンプの出力を小さくするとか
コンプレッサーの設定を変えるとかできるんですが、
朗読してる最中はたいがい冷静でない。興奮してます。あとから気づくのです。
「大きい声」をキレイに録音するのは難しいなぁ…そう思った一章でした。