女院死去

平家物語灌頂巻より「女院死去」です。建久二年、大原寂光院で 一門の菩提を弔っていた建礼門院は静かに息を引き取ります。

平家物語:女院死去 朗読mp3

あらすじ

大原寂光院に女院(徳子)を訪ねた後白河法皇は(「大原御幸」) 徳子の話(「六道之沙汰」)を聞き終わり帰っていかれました。

法皇の車が遠ざかると徳子は泣く泣く御本尊に向かい 安徳帝と一門の魂の救いのために祈ります。

昔は東に向かい「天子宝算、千秋万歳」と祈ったのに、今は西に向かい「過去精霊、一仏浄土へ」と祈ることは いかにも悲しげなことでした。

このごろは いつならひてか わがこころ 大みや人の こひしかるらん
(意味)いつの間にこんな癖がついてしまったのだろう。都の人がなんと恋しいことよ。

いにしへも 夢になりにし事なれば 柴のあみ戸も ひさしからじな
(意味)中宮として権勢を極めた昔も遠い夢となった。してみれば この柴に網戸をむすぶ庵の生活もやがて終わり、極楽浄土へ行けることだろう。

徳大寺左大臣実定、
いにしへは 月にたとへし 君なれど その光なき 深山辺の里
(意味)昔は月に例えられるほどきらびやかな貴方でした。今は その光も衰え、深山の里の侘しい暮らしぶりであることよ。

ほととぎすの声を聞いて女院、
いざさらば なみだくらべん時鳥(ほととぎす) われもうき世に ねをのみぞ鳴く
(意味)それならばほととぎすよ、私と泣き比べをしましょう。私も この辛い世に泣いてばかりいるのですから。

やがて女院は病を召され、大納言佐の局、阿波内侍の二人に見守られながら 息を引き取ります。建久二年(1191)年きさらぎのことでした。

女院に続いて二人の尼も極楽浄土に往生したということです。


平家物語のしめくくりとなる章です。

さる程に寂光院の鐘の声、 今日も暮れぬとうち知られ

この寂光院の鐘は冒頭「祇園精舎の鐘の声」に つながり、 鐘の響きに包まれる厳粛なムードの中、物語全体の輪が閉じます。

平家物語は因果応報の思想が強く、清盛を極端な悪役に仕立てています。

是はただ入道相国、一天四海をたなごごろににぎッて、上は 人をもおそれず、下は万民をも顧みず、死罪・流刑、思ふさまに行ひ、 世をも人をも憚られざりしがいたす所なり。父祖の罪業は子孫にむくふとふ 事、疑いなしとぞ見えたりける

いくら何でも言いすぎな気がします。この長い物語の結論が これではあまりに悲しいです。この一文はなくてもいいのにと思いました。

最後の「竜女(りゅうにょ)が正覚の跡を追い、韋駄堤希夫人(いだいけぶにん)の如くに」という一文にある竜女、韋駄堤希夫人はインドの女性で、女ながら悟りを開いた人の例です。

竜女は「法華経」提婆品にある話で、八歳の竜女が悟りを開き釈迦の前で男子となって往生しました。

韋駄堤希夫人は「観無量寿経」に見えます。古代インド、マガダ国の王妃で、わが子により幽閉されますが、釈迦に説法を請うて悟りを開きます。

posted by 左大臣光永 | 平家断絶
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。