平家物語巻第五より「早馬」です。伊豆の頼朝が蜂起したと早馬の報告が
届きます。
あらすじ
治承四年九月二日、相模国の住人大庭景親が早馬を飛ばし
福原に報告してきました。
「去る八月十七日伊豆の国の流人源頼朝は、舅北条四郎時政に命じ、
伊豆の目代(代官)兼高を夜討ちにしました。
頼朝は石橋山で平家方と合戦するも散々に打ち破られ、土肥の
椙山に逃げ込みました。
その後畠山一族が参戦しますが源氏に味方した三浦勢に破られ
いったんは退却します。
しかし攻め返し、三浦大介義明を討ち取ります。三浦の子らは
安房、上総へ逃げていきました。
平家の人々は都遷り(「都遷」)にも飽きていた頃で、
何か事件が起きないか、討手に向かうのにと無責任なことを言っていました。
京都にいた畠山重能(はたけやま しげよし)は、娘を頼朝に
嫁がせている北条はともかく、他の者が朝敵の味方をするなど
間違いだろうと言いますが、人々の意見はまちまちでした。
清盛は頼朝蜂起の報告を受けて怒り狂いました。
「頼朝の蜂起」という非常にドラマチックな、その時歴史が動いた的
場面ですが、平家物語は意外なほどあっさり伝聞で語るだけです。
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