平家物語巻第七「主上都落(しゅしょうのみやこおち)」です。木曾義仲の
上洛を前に平家一門は安徳天皇と後白河法皇の身柄をとり奉って都落ちを決意します。
しかし法皇は事前にこれを察知、身を隠します。
平家物語:主上都落(二)朗読mp3
あらすじ
寿永二年七月十四日、鎮西(九州)での反平家勢力は鎮圧されますが、
西国・北国では謀反の動きがますます強くなっていました。
同七月二十二日夜半、佐渡衛門尉重貞(さどえもんのじょう さだやす)という
者が木曾義仲が比叡山を味方につけて押し寄せて来たと報告し、
六波羅は大騒動となります。
大将軍新中納言知盛・本三位中将重衡以下、平家軍は源氏の襲来に
備えて都の守りを固めました。
同七月二十四日の夜更け、宗盛は建礼門院のもとに参内して、
帝と法皇の身柄をとり奉って西国へ落ち行く判断を伝えました。
しかし法皇は平家のこの動きを事前に察知。右馬頭資時のみを供として
鞍馬へお逃げになります。
橘内左衛門尉季康という院と平家の両方に仕える者からの報告で
六波羅は法皇の逃亡を知り、法住寺殿へ駆けつけます。
法皇はすでに逃亡した後でした。
大騒ぎになります。とにかく主上(帝)の身だけでもとり奉ろうという
ことになり、建礼門院、三種の神器とともに行幸(天皇が外出すること)の神輿を動かします。
摂政藤原基通もこの行幸にお供していました。七条大路で行幸の車の前を
童子が走りすぎます。その左の袂には「春の日」という文字がありました。
「春の日」はかすが、さては春日大明神が御加護してくださるのだろうと
喜んでいると、
いかにせん 藤のすえ葉の かれゆくを ただ春の日にまかせてや見ん
(意味)どうしたものか。藤原氏の末裔が滅びていくことは。
ただ春日大明神の神意に任せて都に留まってみてはどうか。
基通はこれを聞いて供の者や牛飼と示しあわせ、引き返し、
知足院にお入りになりました。