平家物語巻第五「五節之沙汰(ごせつのさた)」です。富士川の戦いの後処理です。
あらすじ
富士川に布陣していた平家軍は、水鳥の羽音を源氏の夜襲と勘違いし
逃亡してしまいました(「富士川」)。
源氏が押し寄せてみると陣はもぬけのカラです。頼朝は八幡大菩薩に
感謝しました。
源氏軍はこのまま平家を攻めるべきところではありましたが今は東国の地固めが
大切だろうと相模の国に退きました。
東海道沿いの宿々の遊君・遊女たちは平家のふがいなさに呆れました。
皮肉に満ちた落書(風刺の文を人目につきやすい場所に貼ったり落としておくもの)
が多く書かれました。
ひらやなる 宗盛いかにさわぐらん はしらとたのむ すけをおとして
(意味)平屋の棟守り(棟の番人)はどんなにうろたえているだろう。
柱と頼りにしていた助柱が落ちてしまって。
「平屋」と「平家」、「宗盛」と「棟守」、「助柱」と「権亮」を懸ける。
富士川の せぜの岩こす 水よりも はやくもおつる 伊勢平氏かな
(意味)富士川の淵瀬淵瀬の岩を乗り越える水の流れよりも速く、
伊勢の瓶子(伊勢産のとっくり)は流れ落ちていくことよ。
「伊勢平氏」に「伊勢瓶子」を懸ける。
上総守が富士川に鎧を捨てたのを詠んで…
富士川に よろひは捨てつ 墨染めの 衣ただきよ 後の世のため
(意味)富士川に鎧を捨ててしまった忠清よ。もう武士をやめてさっさと
僧になれ。平家の後世を弔うために。
「忠清」と「ただ着よ」を懸ける。
ただきよは にげの馬にぞ のりにける 上総しりがい かけてかひなし
(意味)忠清は白黒ニ毛の馬に乗っていたから逃げ足が速かったのだろう。
せっかくの【上総鞦(かずさしりがい)】も意味のないことであった。
「ニ毛」と「逃げ」、「上総鞦」と「上総介」を懸ける。
鞦(しりがい)は尻尾の下をくぐらせ尻の上
で交差させた布の帯
清盛は怒り狂い、維盛を島流しに忠清を死罪に処せよと言い放ちましたが、
一門の反対により結局処罰は行われませんでした。
それどころかなぜか維盛が右近衛中将に昇進したので人々は陰口を言い合いました。
富士川の戦いの後処理です。
清盛は情けない敗北を喫した維盛を島流しにせよといいますが、
結局処分を見送るばかりか昇進させています。
しかも維盛はこの後倶利伽羅峠の戦いでも大将軍を務めます(「倶利伽羅落」)。そしてまた大敗します。
イケメンなだけで全く役に立たない維盛です。清盛も孫には甘かったんでしょうか。
今回は立って朗読しました。足が疲れないのと声が出やすいので
たいへんいい感じでした。
ただ、立ったぶんマイクが天井に近づくので天井からの反響(アンビエント)を
だいぶ拾ってます。