平家物語巻第十二「紺掻之沙汰(こんかきのさた)」です。源平合戦終結後、
高雄の文覚が頼朝のもとに亡父義朝の首を届けます。
あらすじ
文治元年(1185)八月二十二日、高雄の文覚上人が義朝とその乳母子鎌田兵衛の首を
頼朝の元に届けます。
以前頼朝に「父の首だ」と見せたのは挙兵をすすめるための偽者でした(「福原院宣」)。
本物は義朝が親身に召し使っていた紺かき(布地を紺に染める係)の男が、義朝の首が獄門に懸けられていたのを見かねて検非違使別当に頼んで取りおろし、
東山円覚寺に納めていのです。
頼朝は涙ながらに亡父の首級を受け取り、供養のため鎌倉に勝長寿院を建立するのでした。
勝長寿院跡は鎌倉市雪ノ下4丁目にあります。
甥の公暁に殺された三大将軍実朝(頼朝の子)もこの勝長寿院に埋葬されました。
北条政子が住み、後に埋葬されたのもこの勝長寿院です。鎌倉幕府の栄枯盛衰の目撃者って感じですね。
鶴岡八幡宮に匹敵する壮大な寺院だったそうですが鎌倉幕府滅亡後、消失してしまいました。
この章はかなり嘘くさくつっこみ所満載な気が。それと題が「紺掻之沙汰」というほど「紺掻きの男」活躍しないのが気になります。
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