平家物語巻第十二「土佐坊被斬(とさのぼうきられ)」です。源平合戦終結後、頼朝・義経兄弟の仲は決裂します。
頼朝は土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)に義経の殺害を命じます。
あらすじ
義経が頼朝から謀反の疑いをかけられているという噂が立ち、人々は不審がります。
木曾義仲と平家を滅ぼすのに大変な役割を果たした義経に、恩賞を下されることこそあれ、
疑いをかけるなどおかしな話でした。
これは昨年の春、軍監の梶原景時が船に逆櫓を立てる件について義経と口論になったことを
恨みに思い、頼朝にたびたぴ義経のことを悪く報告していたためでした。
頼朝は土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)を召して、義経の殺害を命じます。
九月二十九日、土佐坊昌俊は都に入り武蔵坊弁慶に召されて義経に拝謁します。
土佐坊が遣わされた目的をいぶかしがる義経に、土佐坊は身の潔白を証明するため
起請文を書きます。神仏に誓って身に偽りないというのです。
こうして義経の尋問を逃れた土佐坊は宿所に戻り義経邸襲撃の準備を進めます。
義経の愛妾、静が異変に気付きます。往来に武者がひしめいてただならぬ様子です。
かつて平家に使われていた【かむろ】を使いに送りますが、なかなか戻りません。
召使の女に偵察に行かせると、かむろは土佐坊の門のところで斬り殺され、宿所には
武士どもが具足を整えていました。
義経は土佐坊の宿所に攻め寄せます。伊勢三郎義盛、佐藤四郎兵衛忠信、
武蔵坊弁慶など一人当千のものどもの活躍で土佐坊の侍どもは散々に破られます。
土佐坊は鞍馬へ逃げ延びますが、鞍馬はもともと義経のなじみの地。すぐに発見され次の日義経の前に引っ立てられます。
命が惜しければ鎌倉殿の元に送り返そうという義経に、土佐坊は毅然と答えます。鎌倉殿に命を受けた日からこの命は
鎌倉殿にお捧げている。今さら自分のもとに取り返せようか。早く首を斬れと。
土佐坊は即刻、六条河原で首をはねられます。その堂々とした態度を誉めない人はありませんでした。
起承転結のしっかりある、独立して取り出しても十分楽しめる章です。「那須与一」や「敦盛最期」ほど知名度がないのが不思議です。
義経と昌俊の心理的駆け引き、引っ立てられた昌俊の堂々とした物言い…。朗読しがいのある章です。
義経が昌俊に「敵ながらアッパレ」感を抱いているのが、いい感じです。
武蔵坊弁慶の名前が見えますが、ほとんど活躍はありません。「荒法師」というイメージは、文覚のキャラクター性が後に転移したものらしいです。