白楽天(白居易)の「長恨歌」は平家物語のあちこちで引用されています。その冒頭部分です。
漢皇色を重んじて傾国を思ふ
御宇多年求むれども得ず
楊家に女あり初めて長成す
養はれて深閨にあり人いまだ知らず
天生の麗質自ら棄てがたく
一朝選ばれて君王の側にあり
眸を廻らして一笑すれば百媚生じ
六宮の粉黛顔色なし
春寒くして浴を賜ふ華清の池
温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ
侍児扶け起せども嬌として力なし
始めてこれ新たに恩澤を承くる時
雲鬢 花顔 金歩搖
芙蓉の帳暖かにして春宵を渡り
春宵はなはだ短く日高くして起き
これより君王早朝せず
歓を承け宴に侍して閑暇無く
春は春遊に従ひ夜は夜を専らにす
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
金屋粧ひ成って嬌として夜に侍し
玉楼宴罷んで酔うて春に和す
憐むべし光彩の門戸に生ずるを
遂に天下の父母の心をして
男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ
大意
漢の皇帝は色恋を貴重なことと考え、
その治世の間長年美女を求めていたが、そのような相手は得ることができないでいた。
一方、楊家に一人の娘がいた。長年女部屋の中で育てられ
外界に接さずにいたので誰もその顔も知らないでいた。
だが生まれついての美貌は隠すことができないもので、ある日
選ばれて皇帝のおそばに仕えることとなった。
瞳を動かして一たび微笑すると強烈な魅力をかもし出し、
宮中の六つの宮殿に住まう美女たちも彼女の前ではその化粧が色あせてしまうのだった。
春もまだ寒いというので華清宮の温泉に入ることを許された。
凝固した脂のようにつややかな肌を温泉の水が滑らかに洗うのだった。
腰元が手助けして浴槽から出したがしなしなと力なく倒れこんだ。
これが始めて皇帝の寵愛を受けた時であった。
その鬢は雲のように気高く、顔は華とうるわしく、金のかんざしを挿していた。
芙蓉(ハス)の絵の描かれた温かな帳の中で春の宵を過ごし
春の宵も二人には短すぎるのだろう太陽が高く上ってから起きるようになり
皇帝は朝早く起きなくなった(政務もおろそかになった)。
春は皇帝の御遊に付き添い、夜はひたすら夜の情事に耽るのだった。
後宮には三千人の美女がいたが、その三千人ぶんの寵愛を一身に集めているようだった。
黄金造りの屋敷に化粧をこらして艶やかに夜のお供をし、
立派な高殿で宴会後に酔っているさまも春に溶け込むようだった。
姉妹兄弟はみな領地を賜り、すばらしい輝きが一門を照らした。
ついに世の人々は男を生むと失望し女を生むと喜ぶようにまでなってしまった。
楊貴妃と玄宗皇帝の悲恋物語として有名な白楽天(白居易)の「長恨歌」冒頭部分です。
平家物語では「葵前」「小督」「城南之離宮」などで引用されています。
白楽天の「長恨歌」は平安時代の貴族にとって基礎的な教養でした。「源氏物語」や「枕草子」、時代は下って
松尾芭蕉「奥の細道」、さらに下って夏目漱石「草枕」にも長恨歌からの引用が見えます。
「比翼連理」という男女の仲が深いことをしめす言葉も「長恨歌」が出典です。