平家物語巻第五「咸陽宮(かんようきゅう)」です。始皇帝暗殺を試みた刺客、荊軻の話です。
平家物語:咸陽宮(二) 朗読mp3
易水送別
蒼天スデニ死ス 朗読mp3
あらすじ
中国、秦の時代。燕の太子丹は始皇帝に囚われ、十二年間監禁されます。
丹が「本国にいる老母にもう一度会いたい」と始皇帝に赦しを請うと、始皇帝は「馬に角が生え、烏が白くなれば赦してやる」とムチャを言います。
丹が必死に祈ると、角のある馬、白い烏があらわれました。
天子に二言は無い(「倫言返らず」)ということで、始皇帝は太子丹を釈放しますが、やはり惜しいことに思い、追っ手を差し向けます。
秦と燕の境の楚の国にかかっている橋に細工をして、丹が通った時に橋が落ちるようにしました。
始皇帝の策どおり丹は川に落ちますが、沢山の亀が甲羅を並べて、丹を岸に渡してくれ、助かりました。
太子丹はこうして燕国に戻りましたが、始皇帝と燕国の確執は続いていました。
そこで丹は荊軻という者を大臣にし、始皇帝暗殺の相談をします。
荊軻は田光先生という老人に始皇帝暗殺の相談をしますが、田光は歳を理由に断りました。
荊軻が「このことを口外しないでください」と言うと、田光は「人に疑われるに過ぎる恥はない」と、李の木に頭をぶつけて絶命します。
また、范予期(樊於期 はんよき)という者がいました。始皇帝のために家族を殺され、その上始皇帝から指名手配にされ、五百斤の賞金がかけられていました。
荊軻は范予期に会い、「お前の首をかせ」といいます。首を差し出す際に始皇帝に接近できるだから剣で胸を刺すのだと。
范予期は家族を殺された憎しみを語り、喜んで荊軻の計画に乗ると言い、みずからの首をはねます。
また、秦巫陽(しんぶよう)という者を、秦国の案内者として連れていきました。
秦国に向かう途中のある夜、管弦の音が響いてきたので、荊軻はその音で運命を占ってみます。「敵は水、味方は火」などと出て、始皇帝暗殺はとても遂げられない様子でした。
といって今更戻るわけにもいかないので、とにかく咸陽宮に入ります。燕国の絵図と范予期の首を持ってきた旨を伝え、阿房殿に通されます。
宮殿のきざはしをのぼる際、秦巫陽は怖気付いて震えだします。始皇帝の臣下の者が怪しみますが、荊軻は「田舎者ですから皇居のきらびやかな様子に驚いているのです」と取り繕います。
始皇帝に近づく荊軻。その時、燕の絵図の入った櫃の底に刀があるのに始皇帝は気付きます。
咄嗟に逃げようとした始皇帝を荊軻はむずと捕まえ、胸に刀を突きつけます。
まわりの臣下たちも、どうすることもできません。
始皇帝は「この世の名残に后の弾く琴の音を聴きたい」と願い、荊軻は許します。
始皇帝には三千人の后がいましたが、その中でも琴の名手の花陽夫人です。見事な琴の音に荊軻も思わず任務を忘れ、聴き惚れるほどでした。
そこで花陽夫人は始皇帝にのみわかるように、歌詞の中に逃げ方を指示します。
七尺(しっせき)の屏風(へいふう)はたかくとも、踊らばなどか越えざらん。
一条の羅穀(らこく)はつよくとも、ひかばなどかたえざらん。
「刺客に掴まれている袖衣をひきちぎって、屏風を躍り越えてお逃げなさい」という指示です。始皇帝はその指示に従い、逃げます。
荊軻は怒って始皇帝に剣を投げますが、そばにいた番医者が薬の袋を投げ、剣はそれにからまって柱につきささってしまいました。
武器を失った荊軻は始皇帝に八つ裂きに斬られます。
秦巫陽も殺され、燕は秦に滅ぼされてしまいました。
「史記・刺客列伝」「十八史略」などで知られる荊軻の話です。陳 舜臣「小説十八史略」(講談社)が手に入りやすく、読みやすいです。
荊軻は中国史の中で大変好かれている人物の一人です。絶対的権力者であった始皇帝に単身立ち向かった心意気が共感を勝ち得たのでしょうか。大石内蔵助人気にも似てる気がします。
陶淵明は、『詠荊軻』に荊軻のことを歌っています。「君子知己に死す」(君子は己を知る者のために死す)の文句は有名です。
「始皇帝暗殺 荊軻」というドラマもありました。
やはり古代中国史をネタにしている「蘇武」もあわせてお楽しみください。この「咸陽宮」より130年ほど未来、漢の武帝の時代の話です。中島敦の「李陵」で知られる話です。「李陵」には「史記」を著した司馬遷も主要人物として登場します。
あまり関係ないんですが、「蒼天」という単語が出てきたので「三国志」の黄巾族のモットー、「蒼天スデニ死ス」を朗読してみました。
蒼 天 己 死(蒼天スデニ死ス)
黄 夫 当 立(黄夫マサニ立ツベシ)
歳 在 甲 子(歳、甲子ニ在リテ)
天 下 大 吉(天下大吉)