教訓状

本日は『平家物語』第二十ニ回「教訓状」です。

清盛は鹿谷事件にくみした関係者たちを多数捕らえましたが、まだ気持ちがおさまらず、後白河法皇の御身をも拘束しようとします。そこに重盛があらわれて、清盛に切々と教訓(説教)します。

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あらすじ

清盛は鹿谷事件に加わった人たちを大勢捕らえたが、まだ気がすまない。

家人の筑後守貞能を召して、後白河法皇への恨み言を述べる。

保元・平治の昔から、平家一門がいかに後白河法皇に奉公してきたか。にもかかわらず、法皇が成親や西光法師の口車に乗って平家を滅ぼそうと計画されたことの恨み。

こうなったら世の中を静める間、法皇を鳥羽の北殿か西八条へお移りいただこうという計画を述べ、武士どもに準備を命じる。

主馬判官盛国が重盛に知らせると、重盛は急ぎ西八条にやってくる。

門内にはすでに平家一門の公卿殿上人以下、大勢集まっていた。

清盛は重盛を叱りつけてやろうと構えるが、五戒を守り礼儀を正しくする重盛に対して鎧姿で対面することはばつが悪い。法衣の下に鎧を隠して対面した。

無言で向かい合う清盛と重盛。

やがて清盛は、法皇を鳥羽の北殿か西八条に移そうと思うと切り出すと、重盛は涙を流して一門の運の尽きたことを嘆く。

重盛は清盛に対して太政大臣かつ出家の身でありながら鎧をまとうことの非道を指摘し、君主の恩がいかに深く尊いか、平家一門は十分に恩を受けていること。にも関わらず一門のふるまいは傍若無人であることを難じ、

聖徳太子の十七条憲法を引用して、たとえ腹が立ってもまず自分の非を恐れるべきであることをいい、

謀反はすでに発覚したのだから、これ以上の心配はない。君主に使え民をいつくしむことが神仏の心にかなったことだと、切々と説く。

posted by 左大臣光永 | 平家繁栄