朗読 平家物語一の谷 小宰相身投

小宰相身投

平家物語巻第九より「小宰相身投(こざいしやうみなげ)」。越前三位通盛の北の方・小宰相は、夫が討ち死にしたことを知り、人目を盗んで海に身を投げる。

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あらすじ

越前三位通盛卿の侍が北の方の御舟に参って、通盛卿が湊川の川下で討たれたことを伝えた。

北の方は信じられないふうでニ三日はお過ごしになられたが、四五日すぎて、いよいよ心細くなられた。

十四日、御舟が屋島につこうという夜、北の方は乳母に「自分は身重になっているが、生きていて亡き人を恋しく思うより、水の底に入りたい」と決意を語る。

乳母の女房は、「あなただけのこととお思いになってはなりません、ご出産の後、出家して亡き殿のご菩提をお弔いください」と説く。

その後、乳母の女房がうとうとしているすきに、北の方は船ばたから身を投げてしまった。

楫取りの一人がこれに気づいて叫んだことにより北の方の入水が発覚した。ようやく引き上げた時はすでに事切れていた。

乳母の女房はとりすがって悶えこがれたが、どうにもならない。

明け方になるに及んで、故三位殿の着背長に結びつけて、とうとう海に沈めた。

乳母の女房は後を追って海に入ろうとしたが人々に引き止められた。せめてのことに自ら髪をおろし、故三位殿の御弟、中納言律師忠快に髪を剃らせて、主の後世を弔った。

「忠君はニ君に仕えず、貞女はニ夫にまみえず」とはこのようなことを言うのだろうか。

この女房は頭刑部卿憲方の娘で、上西門院に仕えた女房で、宮中一の美人といわれ、名を小宰相殿と申した。

この女房が十六歳の安元の頃、女院が法勝寺に花見にお出かけになった時、その時はまだ中宮亮であった通盛卿がこの女房を見初め、以後何度も手紙を送ったが、女房は受け取りもしない。

三年目にこれが最後という手紙を書いて、使者に持たせて送った。その時、使者はいつも取次をする女房にもあえず、むなしく帰ろうとしていた。

そこに、この女房が里から御所に参るのに出会った。使者は通盛卿の手紙を車の簾の中へ投げ入れた。

女房はさすがに捨てるわけにもいかず、手紙を袴にはさんだまま御所に参上した。

そして宮仕えをしているうちに、よりによって女院の御前で落としてしまった。女院がこれを取り上げて「誰の文か」と問うと、御前の女房たちは神仏にかけて「知らない」という。

その中に小宰相殿は一人頬を赤らめた。女院も前々から、通盛卿が小宰相殿に言い寄っていたことを知っていた。手紙の最後には歌があり、なかなか手紙を受け取ってもらえないことを嘆いていた。

女院は「あまりに気が強くても不幸を招く」といい「どうしても返事をせねばならない」と、ご自身で返事をなさった。

こうして通盛卿はこの女房を頂戴して、お互いに深く思い合う夫婦となったのだ。それでここまで引き連れて、ついに同じ世界と旅立たれたのだった。

門脇中納言(教盛)は、嫡子越前三位(通盛)、末子業盛にも先立たれてしまった。残る頼りになる御子は、能登守教経、僧では中納言律師忠快だけである。

この女房を亡き通盛卿の形見と思っていたのにそれにも先立たれ、ひどく心細くなられた。

posted by 左大臣光永 | 一の谷