内裏女房

平家物語巻第十より「内裏女房(だいりにようぼう)」。

捕虜になった平重衡は、六条通を引き回された末、軟禁状態に置かれる。そこへ重衡が長年めしつかっていた侍、木工右馬允知時がたずねてきた。重衡は長年情を通わせていた女房のことが気になり、知時に女房への手紙をたくす。

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あらすじ

寿永三年(1184)二月十四日、捕虜の本三位中将重衡卿は六条通を東へ引き回された。土肥次郎実平が車のそばにつきそった。人々は重衡の運命を気の毒がり、悲しみあった。

六条河原まで引き回されて、それから戻って故中御門中納言家成卿の、八条堀河にあった御堂に入れて、土肥次郎実平が警護にあたる。

院の御所から、御使として蔵人左衛門権佐定長が、八条堀河に出向いた。定長は「三種の神器を返還するなら八島に帰してやろう」という院(後白河院)のご意向を重衡に伝える。重衡は気がすすまないが、院宣をそのまま突き返すのも恐縮なので、八島にこの件を伝えることにする。

重衡の使いは平三左衛門重国、院宣の御使いは御坪の召次の花方ということであった。私的な手紙はゆるされないので、平家の人々へは口頭で伝言した。北の方大納言佐殿に対しても、後世で生まれ変わってお目にかかりたい旨を泣く泣く伝言した。

重衡が長年召使っていた侍に、木工右馬允知時(むくうまのじょうともとき)という者がいた。その時、八条の女院に仕えていたが、土肥次郎のもとに出向いて、今一度お目にかかりたいと重衡への面会を求めた。土肥次郎は刀を預かって中に入れた。

重衡と知時は涙ながらに対面した。昔や今の物語をして、やがて重衡がかつて知時を介して言い寄っていた女房の話になる。重衡はこの女房に手紙をやりたいというので、知時は承知し、重衡はすぐに手紙を書いて知時にたくした。

守護の武士たちが手紙の内容をいぶかしがったが、女への文だったので許された。

知時はこの手紙をもって内裏へ参り、女房の局近くに行くと、件の女房が重衡の話をしているのを聞いたので、声をかけ、重衡の手紙を女房にわたす。

そこには生け捕りになった経緯、今日明日とも知れぬわが身の将来などがこまごまと書かれ、歌が記されてあった。

女房はこれを読んで泣き、返事を書いて知時に託した。知時は返事をもってもどると、ふたたび警護の武士どもの検閲を受けてから、重衡に見せた。

これを見て重衡は感にたえず、土肥次郎実平に、件の女房との対面を願い出る。実平は情けある男で、これをゆるした。

重衡はよろこんで、人から車を借りて女房のもとに迎えにやると、女房はすぐに来た。

重衡は車の簾に顔だけ入れて、女房と手に手をとりあい顔に顔を押し当てて、しばらくは泣くばかりだった。

しばらくして重衡は長い間消息がとだえていたことを詫び、思いがけず捕虜になったのはふたたび巡り合う運命だったのだろうと語る。

夜中になって女房を帰した。別れ際にも歌をよみあい、涙ながらの別れであった。

そうして女房は内裏へ帰った。その後は警護の武士どもが許さなかったので、時々手紙を通じるだけだった。この女房は、民部卿入道親範の娘である。顔かたちがすぐれ、情の深い人である。

重衡が奈良へ送られ斬られたときくと、すぐに出家して重衡の後世菩提を弔ったのは感慨深いことであった。



posted by 左大臣光永 | 重衡と維盛