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あらすじ
夜が明けると平家は船に乗って讃岐国志度の浦に退いた。義経が追撃させると平家方も千余人が渚にあがって戦った。
そのうちに源氏の増援が屋島よりとどいたので、平家方は船で撤退していった。
義経は志度の浦に下りて、首実検しながら、伊勢三郎義盛を召して命ずる。
「阿波民部重能の嫡子田内左衛門教能が今日こちらに到着するときいているから、なんとかだまして連れてこい」と。
義盛はかしこまって承り、わずか十六騎で、みな白装束で、教能のところに馬で向かった。「大将に申すべきことがある。戦うつもりはない」といって中に通された。
義盛は田内左衛門教能に面会して言う。教能の叔父、桜間介はすでに討たれ、宗盛父子は生け捕りとなり、能登殿(教経)は自害した。そのほかの公達もあるいは討死にし、あるいは入水した。わずかな残党も、志度の浦でみな討たれた。教能の父、阿波民部は源氏方に降参し義盛が預かっているが、息子がこうした事情を知らずに戦いを起こして討たれることに胸痛めていると。
田内左衛門はこれを聞いて、平家方に降参した。三千余騎の軍兵どもも皆降伏した。
義経は義盛の計略に感心し、田内左衛門の身柄を伊勢三郎義盛に預けた。三全余騎の軍兵は義盛の軍勢に加えた。
同月ニ十ニ日午前八時頃、渡辺に残留していた梶原景時の船団が屋島の磯についた。四国はすでに義経に攻め落とされたのに、今さら何をしにきたのかと人々は嘲笑した。
義経が都を出発した後、住吉神社の神主の長盛が、院の御所へ参って、大蔵卿泰経を通じて奏上した。
住吉神社の第三の寝殿から鏑矢が出て西をさして飛んでいったと。
後白河法皇はたいへん感動し、御剣以下のさまざまな神宝を住吉大明神に奉納させた。
昔、神宮皇后が新羅を攻めた時、伊勢大神宮からニ神の荒御魂が加わり、攻略成功して帰国の後、住吉の大明神、諏訪の大明神として祀られた。昔の征伐のことを忘れず、今も朝敵を滅ぼそうとするのだろうかと君も臣も頼もしく思った。