平家物語巻第六より「小督(こごう)」です。
高倉天皇とその愛妾小督の悲恋が描かれます。
「紅葉」「葵前」と並び高倉上皇追悼話群の一つです。
平家物語:小督 朗読mp3(二)
あらすじ
愛妾葵の前を失って悲嘆にくれていた高倉天皇の元に、正妻の建礼門院は、小督を差し向けます。
小督は宮中一の美人で、琴の名人、そして
父は桜町中納言成範卿(さくらまちのちゅうなごん しげなりのきょう)。葵の前と違い、家柄も申し分ありません。
小督は冷泉大納言隆房卿(れいぜいのだいなごん りゅうぼうのきょう)の恋人でしたが、天皇のもとに召された後は
泣く泣く隆房との関係を断ち切りました。
隆房卿は小督を諦めきれず、小督のいる局の内へ歌を書いて投げ入れます。
おもひかね こころはそらに みちのくの 千賀のしほがま ちかきかひなし
(意味)あまりに想いが募って、うわの空のまま訪ねてきましたが、
近くにいても会えないのならどうしようもありません。「空に満ちる」と
「みちのく」を懸ける。「千賀の塩釜」は現宮城県塩釜市の千賀の浦。「近き」を
導く序詞。
しかし小督からの返事はなく、泣く泣く隆房卿は立ち去るのでした。
たまづさを 今は手にだに とらじとや さこそ心に おもひすつとも
(意味)私の手紙を今は手に取ってもくれないのですか。そこまで思い
捨てられたとしても手紙くらいは受け取ってくれてもいいのに。「たまづさ(玉章)」は
手紙のこと。
さて高倉天皇の正妻の建礼門院は清盛の娘であり、隆房卿の正妻も清盛の娘でした。
清盛としては小督によって二重に出し抜かれたわけです。小督を殺せと命じます。
小督は高倉天皇の上にも災いが及ぶと心配し、ある夜内裏を抜け出し、姿を消します。
小督を失いいよいよ悲観にくれる高倉天皇に清盛は追い討ちをかけます。
お世話の女房を遠ざけるようにして、高倉天皇を孤立させます。
ある月の明るい夜、高倉天皇は弾正小弼仲国(だんじょうのしょうひつ なかくに)を呼び、
小督は嵯峨野にいるらしいから探して来いと命じます。
仲国が嵯峨野の辺を探し歩きますと、琴の音が。まさしく小督の弾く琴の音です。
曲は「想夫恋」別れた恋人を想う曲です。
仲国の仲立ちで小督は宮中に戻ることになり、高倉天皇は再び小督の元に通いはじめします。
女の子までもうけますが、清盛にばれてしまい、小督は無理矢理出家させられ追放されます。
高倉天皇はこういった心労が重なり、ついにお亡くなりになりました。
後白河法皇は女御の建春門院や皇子たちを次々に喪ったことに加え
今回は頼みにしていた高倉天皇まで喪い、悲嘆に暮れるのでした。
ハイライトは、仲国が失踪した小督を探し、嵯峨野をさまよっているところに、
微かに琴の音が聞こえてくる場面です。
平家物語の中でも名文として有名な箇所です。
峯の嵐か松風か尋ぬる人の琴の音か、覚束なくは思へども、駒を早めて行く程に、片折戸したる内に、
琴をぞ弾きすまされたる。
控えてこれを聞きければ、少しも紛うべうもなく、小督殿の爪音なり。
楽は何ぞと聞きければ、夫を想うて恋ふと読む、想夫恋という楽なりけり
実に絵画的で情景が目に浮かびます。
だいぶ以前に録音したものでイジケた音だったので再録しました。
小督という名前が変わってます。
父の当時の役職「左兵衛督(さひょうえのかみ)」からとられたらしいです。
清少納言のように、「そなたの父は左兵衛督であったの。よしよし、ならば小督と呼ぼう」とか徳子から言われたんじゃないでしょうか。
高倉天皇は、清盛の娘の建礼門院を押し付けられて、そうとう不服だったようです。
自分の思い通りにならない高倉天皇に、清盛もキツクあたったということでしょう。
それにしても高倉天皇のために小督と隆房卿は引き裂かれたわけで、
あんまり同情ばかりできない気もするんですが…。
正妻が主人に妾をすすめることといい、そのために恋人と別れさせることといい、
フェミニスト団体のおばちゃんがきいたら真っ赤になってキッキ怒りそうな記述が
いっぱいです。