海道下

平家物語:海道下 朗読mp3
これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふさかの関(蝉丸)
↑外部サイトに飛びます

平家物語第十より「海道下(かいどうくだり)」です。
一の谷の戦いに敗れ生捕りになった平重衡(たいらの しげひら)が、京都から鎌倉へ護送されます。東海道沿いの地名づくしが見事です。
だいぶそれっぽい読みになってきたと思います。

あらすじ

本三位中将重衡(ほんさんみのちゅうじょう しげひら)は、 一の谷で生捕りになりました(「重衡生捕」)。

梶原平三景時(かじわらへいざ かげとき)の護送で、京都から鎌倉へ送られていきます。

四之宮河原を過ぎ、東海道沿いの名所を通りながら池田の宿に入るころには日も暮れていました。

重衡は、宿の長者、熊野(ゆや)の娘から歌を送られます。

旅の空 埴生の小屋のいぶせさに ふるさといかに 恋しかるらん
(こんなみすぼらしいあばら屋に泊まる貴方は、どんなにか故郷が恋しいことでしょう)

重衡の返し
ふるさとも 恋しくもなし 旅の空 都もついの すみかならねば
(旅の身である以上、寂しいとは感じません。都もいつまでも住める安住の地ではないのですし)

娘の優雅さに感心する重衡に、景時は彼女の逸話を語ります。

大臣殿(おおいとの。宗盛)がこの国の守として赴任した時、彼女を見初めて京へ連れ帰りました。
ある時彼女の母親が病気になったが大臣殿は故郷に帰してくれません。そこで、

いかにせむ みやこの春もおしけれど なれしあづまの花や散るらむ
(都で花見もいいですが、田舎に残してきた母が心配です)

という歌を詠み、帰省を許された…と。

また東海道を登る道すがら、重衡は甲斐の白根を見て、詠みます。

おしからぬ 命なれども きょうまでぞ つれなきかいの しらねをもみつ
(惜しい命ではないが、今日まで恥知らずにも生きてきたかいがあって、
今まで見る機会に恵まれなかった甲斐の白根を見ることができたよ)

そうこうして、鎌倉へ到着するのでした。

「海道下」の地名づくし

朗読のポイントは、次々と登場する地名です。東海道ぞいの名所、歌枕がテンポよく綴られていきます。
平家物語の書かれた時代は誰もがすぐにイメージできた地名、名所なのでしょうが、現在では聞きなれないものばかりです。
この章は百回近く朗読したはずですが今回初めて地名(など)を調べてみました。
地名の背景に横たわる物語を思いながら朗読するとき、より深く重衡卿の心情を理解できるのではないでしょうか。

四之宮河原

京都市山科区四之宮。鴨川の河原。

蝉丸

延喜帝第四皇子。生まれつき盲人だったため、逢坂の関に捨てられたとされる。
琵琶の名人。
伝説的な人物。百人一首の、 「これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふさかの関」が有名。
近松門左衛門は蝉丸伝説を元に浄瑠璃「蝉丸」を創作した。

小倉百人一首「これやこの…」
↑こちらで解説しています。

博雅三位

源博雅(みなもとの・よりまさ)。はくがのさんみ。琵琶の名人。克明親王の第1皇子だが臣籍に降下。源の性を名乗る。
逢坂の関の横にある蝉丸の庵に通い、琵琶の音を立ち聞き、秘曲を会得したとされます。

逢坂山

鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉白き逢坂の山
逢坂山のふもとに逢坂の関があった。
山城国と近江国の国境となっていた関所。
美濃の不破関、伊勢の鈴鹿関と並び、「三関」のひとつ。

瀬田の唐橋

滋賀県大津市瀬田。瀬田川にかかる橋。
近江八景の一つ「瀬田の夕照(せきしょう)」として有名。
軍事、交通のポイントであったため、「唐橋を制するものは天下を制す」と言われました。

雲雀上がれる野路の里

滋賀県草津市野路。
明日も来む野路の玉川萩越えて色なる波に月やどりけり
「ひばり上がる」は何か歌をベースにしていると思うのですが、調べつきませんでした。

志賀の浦波

滋賀県大津市。
浦風、波、氷を歌に読み込む。
志賀の浦や 遠ざかり行く波間より 氷りて出づる 有明の月
さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの 山桜かな(平忠教。「忠教都落」)

霞に曇る鏡山

滋賀県蒲生郡鏡山村。
影を歌に読み込む。
「海道下」では「鏡−曇る」の連想で、「霞に曇る鏡山」と言っています。
曇りなき 鏡の山に月を見て 明らけき世を 空に知るかな

比良の高嶺

滋賀県滋賀郡。比叡山の北東。
花誘う 比良の山風吹きにけり 漕ぎゆく舟の 跡見ゆるまで

伊吹の岳

滋賀県坂田郡。岐阜県と滋賀県の県境にある伊吹山地の主峰。
薬草の自生地として有名。
かくとだに えやは息吹のさしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

不破の関屋

東山道の関所。鈴鹿関、逢坂関と並び、三関と言われた。
人住まぬ 不破の関屋の板びさし 荒れにしのちは ただ秋の風(藤原良経)
秋風や 薮も畠も 不破の関(芭蕉)

いかに鳴海の潮干潟

名古屋市鳴海町。伊勢湾に面する。
浦人の 日も夕暮れに なるみ潟 かへる袖より 千鳥鳴くなり

八橋

愛知県知立市。
「かきつばた」という言葉を折り込んで歌を詠んだ「伊勢物語」の話は有名。
からころも 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
 

池田の宿

謡曲「熊野(ゆや)」に有名。
池田宿の長者の娘、熊野は平宗盛に見初められ、京都で暮らしていましたが
故郷にいる母が病気との知らせが入ります。
しかし宗盛は帰省を許さず、呑気にも熊野を花見にさそいます。
熊野は
いかにせん 都の春も惜しけれど なれしあづまの 花や散るらん
(都の花もいいですが故郷に残してきた母が心配です)
という歌を詠み、宗盛の心を動かした、という話です。

小夜の中山

静岡県掛川市。
箱根峠、鈴鹿峠と列び、東海道の三大難所の一つ。
年たけて また越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山(西行)
馬に寝て残夢月遠し茶の煙(芭蕉が小夜の中山で詠んだ)

宇津の山辺

静岡県阿部郡。宇津谷峠。
都にも いまや衣をうつの山 夕霧はらう 蔦(つた)の下道
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会はぬなりけり

甲斐の白根

山梨県西部の山。
「雪」を歌に詠みこむ。
甲斐が嶺に 木の葉降り敷く秋風も 心の色を えやは伝ふる

清美が関

静岡県清水市にあった古関。

足柄山

神奈川県足柄郡。神奈川と静岡のさかいあたり。
足柄の 関路越えゆく東雲(しののめ)に ひとむら霞む 浮島が原
金太郎が生まれ育った山として有名。

恋せば痩せぬべし恋せずもありける…

昔、足柄明神が唐へ渡って、日本へ帰ってくると妻が太っていました。
足柄明神は「俺のことを想っていたなら、そんな太らないはずだ」と妻を離縁したという話です。
 

こゆるぎの森

神奈川県小田原市。「こゆるぎの磯」が正しい。
こゆるぎの いそぎて逢ひし かひもなく 波よりこすと 聞くはまことか

まりこ川

富士山東から発し、小田原で相模湾に注ぐ。
酒匂川の古名。

神輿が崎

鎌倉市稲村が崎の古名。


posted by 左大臣光永 | 重衡と維盛
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。