平家物語巻第九「敦盛最期(あつもりの さいご)」です。
源氏の武士、熊谷次郎直実(くまがいのじろうなおざね)は、沖に引き返していく
平家の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)を呼び止めます。
あらすじ
一の谷の戦も終盤になり、源氏の武将熊谷次郎直実は、よい敵を探していました。そこへ舟へ逃げようとする武者(敦盛)の姿を見つけます。
熊谷が呼び止めるとその武者は引き返してきます。組み伏せて顔を見るとまだ17歳くらいの若武者です。
熊谷は我が子小次郎の姿が重なり敦盛を逃がそうとしますが、
後ろを見ると源氏の大群が迫っていました。
せめて自分の手で討ち取り、後世を弔おうと、熊谷は泣く泣く敦盛の首を取るのでした。
腰にさしていた笛を見て、その若武者が敦盛とわかります。
熊谷は戦場に笛を持参するという敦盛の風流さに感嘆し敦盛を討った
ことを悔い、これが後に出家するきっかけとなりました。
平家物語「敦盛最期」を元ネタに謡曲や能、歌舞伎
など、それぞれの「敦盛」が作られました。
このように平家物語は後の時代に多くの創作の題材を与えました。
例えば浄瑠璃「一の谷双葉軍記」は平家物語の「敦盛」に基づきながらも、
敦盛の出生の謎に迫るなど、大胆なアレンジがされています。
また、織田信長が好んで舞ったとされる、幸若舞の「敦盛」も有名です。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
ドラマなどで信長が舞っているシーンを観たことのある方も多いと思います。
で、森蘭丸が後ろでポポンと鼓を打てば完璧ですね。
あれは幸若舞「敦盛」の中の、熊谷次郎が敦盛を討ったことを悔い、出家を決意するシーンです。
実際には熊谷次郎が出家したのは敦盛を討ってずっと後のことで、
敦盛のことは無関係だったようですが、平家物語はつまらない史実を
実にドラマチックに仕立てていて感心します。
「敦盛最期」と題しながら最期まで「敦盛」の名が登場しないところなんか、
実にイキです。
平家物語は各章が比較的独立していて伏線は少ないのですが、
この「敦盛最期」は、以前の章とのかかわりが強いです。数章前の「一二之駆」では
熊谷が死にもの狂いで勲功を立てようとしている所、子息の小次郎が戦場で傷を負ったのを
心配している様子が描かれています。
数回目の再録です。今回はややマイクを遠めに置き、音の高低差をうまくおさめるよう注意しました。熊谷が敦盛を呼ぶところなどは思いッきり声出すので50センチくらい下がり、熊谷のシミジミ述懐する台詞は10センチくらいから録りました。
熊谷が敦盛をよびかける場面が
カッコいいです。よく絵に描かれるシーンです。
「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさのうも敵に後ろを見せさせ給うものかな。
返させたまへ」
登場人物は敦盛と熊谷二人だけですし、朗読しやすいと思います。
オッサンと若者ですから、演じ分けも容易でしょう。
単に声音を変えるというのでなく、熊谷と敦盛の背負った
背景の違いを考えながら朗読するといいと思います。
熊谷は、敦盛を討てばその父が悲しむだろうなーと、自分の父親経験に基づき(敵なのに)
そこまで心配しているわけです。
敦盛のほうは自分が勇敢に戦って死ぬ、その武士的名誉までしか考えず、親が悲しむとかまでは
わからないのです。年齢的にもそこまで想像が及ばないでしょう。
そういう、二人の背負ったものの差がドラマを生んでいると思いました。
激しいとことシミジミするところの落差が激しい章です。「足摺」と並んでダイナミックレンジが大きいのです。録音にはコンプレッサーが
あったほうがいいです。