小教訓

平家物語巻第二より「小教訓(こぎょうくん)」です。鹿ケ谷事件の首謀者、新大納言成親(なりちか)を折檻した件で、清盛が長男の重盛から怒られる話です。

内容

鹿谷事件で捕らえられた大納言成親は西八条の一室に軟禁される。そこへ清盛があらわれ、成親をさまざまに非難する。

成親はしらばっくれるが、清盛は西光法師の自白状を持ってこさせ、よみきかせると、西光の顔に投げかけ、出ていった。

入道相国はまだ怒りが収まらない。妹尾太郎兼康と難波次郎経遠を呼び出し、大納言成親を庭にひきずり落とせと命じる。

妹尾・難波は小松殿(重盛)をはばかって躊躇するが、清盛は「お前たちは内大臣の命を重んじて私の命令を軽んじるのだな」とすごむので、

やむをえず、大納言成親を庭に引き落とした。清盛が「ねじふせてわめかせろ」というので、妹尾・難波は大納言に気をつかいつつ、命じられたとおりにした。

成親は子息丹波少々成経以下の幼い子供が心配である。「いくらなんでも小松殿はお見捨てにならないだろう」と期待をかけるが、小松殿に連絡をつける方法もわからない。

小松殿はしばらくして、嫡子維盛を車の後に乗せて、護府の官人45人、随身23人をつれて兵士は一人も連れず西八条邸に参上した。

貞能が参って「これほどの大事にどうして軍兵を一人もつれていないのです」とたずねると、

「大事とは天下の大事を言うのだ。このような私事を大事という者があるか」と。

小松殿は大納言が軟禁された部屋を見つけ出し、大納言と対面。

大納言は「地獄に仏」と喜び、助命を請う。重盛は大納言を慰め、出ていく。

重盛は、父清盛に教訓(説教)する。大納言を死罪にするには及ばない、ただ都の外へ追放すれば足りると。

いにしえの賢王ですら讒言により無実の臣下を流罪に処してしまった事例を引き、また、

保元の乱の時長年間行わていなかった死罪を復活させた信西入道が、その二年後、自身が死罪になった最近の例を引き、清盛に教訓し、納得させる。

重盛は侍たちに、大納言に手を出さぬよういい含め、自分の屋敷(小松殿)に帰っていった。

重盛の侍たちが中御門烏丸の成親邸に行き、このことを報告すると、大納言の北の方は若宮・姫宮を連れて、雲林院へと退避した。

見送りの人たちはわが身惜しさに去っていった。北の方のもとに残ったのは幼子たちだけであった。

かつての繁栄は一夜にして変わった。盛者必衰の道理が、目の前に現出したことであった。

抜粋

大事とは天下の大事をこそいへ。かやうの私事(わたくしごと)を、大事と伝ふ様やある。

積善(しゃくぜん)の家に余慶(よけい)あり、積悪(せきあく)の家に余殃(よおう)とどまる

posted by 左大臣光永 | 平家繁栄