平家物語巻第五より「勧進帳(かんじんちょう)」です。
文覚は高雄の神護寺再興のために院の御所に押し寄せ、寄進を要求します。高らかに読み上げる勧進帳がポイントです。ヤケクソ感を強調して再録しました。
あらすじ
諸国修行の旅にまわっていた文覚でしたが(「文覚荒行」)、後には
高雄の山奥に落ち着きました。
この高雄に神護寺(じんごし)という寺がありました。和気の清丸が
建てた由緒ある寺でしたが、文覚の時代には荒れ果てていました。
文覚は神護寺を再建しようという大願を起します。勧進帳を掲げて
ほうぼうを触れ歩きます。勧進帳とは寺社建立のために寄進を願う文書です。
ある時、院の御所法住寺殿へ寄進を願いにいきました。しかし詩歌管弦の
遊びの真っ最中で目通りも許されません。
そこで文覚は容赦なく坪(庭)に乱入し、大声で勧進帳を読み上げます。
平家物語の「文書」について
平家物語には、長い文書がいくつか登場します。「木曽山門牒状」や「腰越」、「請文」など、
どれも大変いかめしい言葉で綴られています。朗読すると舌を噛みそうになります。
この勧進帳には難解な仏教用語が沢山出てきて、字面を見ていても
さっぱり意味が分かりません。
朗読するにあたって注釈を見ながら調べましたが、ピンときませんでした。
おそらく当時の人たちも断片的にしか理解できなかったのではないでしょうか。
平家物語の構成上、わざわざこういう文面を完全に掲載する必要はなく、
「声を怒らしてこそ読み上げたれ」とでも書いて済ませればよかったはずです。
それでもストーリー上は全く支障ありません。
おそらく平家物語の中でこういった「手紙」は、一種の趣向、言葉の舞い躍りを楽しむ場面だったのではと思います。
たとえば「三井寺炎上」で焼けた寺々の名前を列挙する場面、「源氏揃」で、滔々と人名を
読み上げる場面…ああいうものに通じる、語りの見せ場だったのではと思います。
意味がどうこういうより、気持ちよくズラズラーっと語りつくす琵琶法師の芸を
固唾を飲んで見守り、読み上げた段階でワーーッと拍手が上がったのではないかと想像します。
ちなみに、弁慶が安宅の関で義経を打った、有名な「勧進帳」とは全く違う話です。