倶梨伽羅落

平家物語巻第七「倶梨伽羅落(くりからおとし)」です。
北陸の倶利伽羅峠で、木曽義仲軍が平家を破ります。

あらすじ

北陸の倶梨伽羅峠で源平は対峙し、にらみ合っていました。
義仲は一進一退の矢合わせをして時間を稼ぎます。

暗くなった頃、搦め手から迂回した源氏の別働隊が現れます。
義仲はそれと呼応し一気に平家の大軍を倶利伽羅が谷に追い落とします。倶利伽羅が谷は七万余騎の屍骸で満たされ、平家は多くの有力な武将を失うのです。

翌日、義仲は奥州の藤原秀衡(ふじわら ひでひら)から二頭の駿馬を送られます。これを白山の社に奉納し志保で苦戦している叔父の十郎蔵人行家(じゅうろうくらんど ゆ きいえ)を助けに行きます。

志保で平家を散々に蹴散らした義仲は、勢いに乗って能登の小田中まで攻め上ります。


かなり前に録音したので、再録しました。まだまだうるさいと 思います。そう思って声を落とすとしょぼい感じになる。「落ち着いていながら通る声」というのを目指してがんばります。

↓一番の朗読ポイントです↓ クライマックスです。
「親落とせば子も落とし、兄落とせば弟(おとと)も続く。
主(しゅう)落とせば家の子・郎党落としけり。
馬には人、人には馬、落ち重なり、落ち重なり、
さばかり深き谷ひとつを、平家の勢七万余騎でぞ埋めたりける。
巌泉血を流し、屍骸丘をなせり」
ここを悲壮に、悲惨に、大袈裟に朗読できれば、大成功です。

「サムライチャンプルー」というアニメで、シゲという敵キャラがこの部分を朗詠してい ました。

義仲が牛の角に松明をくくりつけて平家を攻めたという、有名な「火牛の計」は 実は平家物語にはなく、源平盛衰記の中の記述です。

「人形劇平家物語」では、たしか中原兼遠の提案で火牛の計を実行するのでした。
牛の人形がチープで可愛かったのを覚えています。


posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭
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