平家物語巻第六より「経島(きょうのしま)」です。
清盛死後の京都の町の様子と、清盛が生前築いた人工島「経島」のことが語られます。
あらすじ
清盛の葬儀の夜、不思議なことがありました。
清盛の西八条邸が火事になりました。放火と噂されました。
また、六波羅の南から大勢の声で「うれしや水 鳴るは滝の水」と
はやす声が聞こえてきました。
先月は高倉上皇がお亡くなりになり、今また入道が帰らぬ人となったのに不謹慎なことです。
平家の血気さかんな者たちが押し寄せてみると、
院の御所法住寺殿で、留守居の役人たちが酒を飲んで騒いでいるのでした。
これを六波羅にひっぱって行くと、宗盛は「そんなに酔っ払っているなら斬るべきでなかろう
」と、釈放しました。
貴人が亡くなった時は朝晩鐘を鳴らし念仏を唱え、高きも卑しきも喪に服すものですが、
この時は少しもそんな雰囲気はありませんでした。すでに戦が迫っており、それどころではな
かったのです。
臨終の様が悲惨だったからといって、やはり清盛がただ人でないことに変わりはありません。
比叡山日吉の社へ参詣した時は多くの人がその豪華さに感嘆しました。
何よりの働きは福原の港に経島という人口島を築いて、船の行き来をしやすくしたことです。
阿波民部重能が奉行になって、港の安全のために人柱を立てようと提案したのを、
「それはあんまりだ」ということで、石にお経を書くことで人柱の代わりとしました。
このため「経島」と名づけられたのです。
朗読について
「入道逝去」の後、
「経島」
「慈心坊」
「祇園女御」と、清盛の生前のエピソードが語られます(追悼話群)。
「経島」では平家物語が珍しく清盛を誉めます。
日本史の教科書出てくる清盛が築いた大輪田泊(おおわだのとまり)。
日宋貿易で有名な港です。今の神戸港の元になったものです。
その入り口に、防波堤として人工島を築いたわけです。
根性の捻じ曲がった平家物語も、誉める時は惜しみなく誉めるのです。
「何よりもまた福原の経島築いて、上下往来の船の、
今の世に至るまで、煩いなきこそ目出たけれ」
今までほとんど描かれなかった、清盛の慈悲深い一面も描かれます。
誉めるならもっと生前に誉めればいいのにと思いつつ朗読しました。
「北斗の拳」でラオウが、あれだけ殺しまくっておきながら死んだとたん英雄扱いになったの
を思い出しました。