平家物語巻第六より「紅葉(こうよう)」です。
高倉上皇(天皇)が紅葉を愛でられたことなど、柔和な人となりを示すエピソードが語られます。
「葵前」「小督」と並び、高倉上皇追悼話群の一つです。
あらすじ
高倉上皇は人徳に優れた賢王で幼少の頃から柔和でした。
十歳の頃、紅葉を大変愛され、庭に紅葉を植え、一日中眺め暮らしておられました。
ある時、風が激しく吹いて紅葉を吹き散らしたことがありましたが、
庭掃除の召使どもが、その紅葉を集めて、酒を温める火種にしました。
気づいた係の役人は、真っ青になって高倉天皇に報告します。
しかし高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焚く(注)という詩の心を、誰がお前たちに教えたのか」と
かえって感心され、何のお咎めもなさいませんでした。
またある夜、遠くから悲鳴が聞こえるので使いの者をやると、女童が泣いていました。わけを訊くと「主人の使いで衣を運んでいたが、暴漢に襲われ、奪われてしまった」というのです。
高倉天皇は、そんな不届き者が出るのは、自分の人徳が至らないせいだとお嘆きになり、中宮の元に使いをやり、もっと上等の衣を取り寄せ、女童にお渡しになりました。
これほど人徳に優れ、国民に愛された高倉上皇でしたが、21歳の若さで崩御されたのは悲しいことでした。
(注)
「林間に酒を煖めて紅葉を焼く 石上に詩を題して緑苔を掃ふ」
「長恨歌」で有名な唐代の詩人、白楽天の「送王十八帰残山(王十八の山に帰るを送る)」より。
友達が故郷へ帰っていくのを見送る詩です。
林の中で紅葉を焼いて熱燗をしたり、石の上に緑の苔をはらって詩を書いたり、
楽しい青年時代を送った、懐かしい故郷。
その故郷に友は帰っていく。見送る私。
自分もいつ帰れるかなあ…みたいな内容です。
王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す 白 居易
曽て太白峰前に於て済み
数々仙遊寺裏に到り来る
黒水澄める時潭底出で
白雲破るる処洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を掃う
惆悵す旧遊復た到る無きを
菊花の時節君が廻るを羨む
平家物語では、主要な登場人物が亡くなると、いったん本筋の流れを切って、その人物の生前のエピソードが語られます(追悼話群)
「紅葉」では高倉上皇(天皇)の幼少からの柔和さが語られます。
平家物語は高倉上皇(天皇)をやたらと持ち上げますが、正直、それほどかなと思います。
庭掃除の召使が漢詩を知っていたいたわけはなく、
柔和というより庶民感覚からかけ離れた(天皇だから当たり前だけど)、地に足がついてない印象を受けました。
天皇だから感心されることであって、そのへんのガキがこんなこと言えば、「生意気なやつ」と、
張り倒されるに違いないです。
少女に衣を与えたエピソードにしても、天皇という恵まれた立場
だからできることで、民衆の立場からかけ離れてるというか、
「恵まれた立場だからこそできる善行」って感じがしました。
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京都市東山区清閑寺に高倉天皇陵があります。