実盛

平家物語巻第七より「実盛(さねもり)」です(真盛とも表記)。
斉藤別当実盛(さいとうべっとう さねもり)は、元は源氏でありながら、平治の乱以降は平家に従ってしました。
北陸篠原の合戦で実盛は討死を覚悟し、 白髪を黒く染め、錦の直垂(ひたたれ)を着て、戦場に赴きます。

平家物語:実盛 朗読mp3

あらすじ

篠原合戦も終盤になり、実盛は一人戦場に残り、義仲軍の追撃を防いでいました。

そこへ義仲方の武士、手塚太郎光盛(てづかのたろう みつもり)が声をかけます。
手塚太郎は名前を尋ねますが、実盛は、名乗らず、組討ちになります。
実盛は手塚太郎の郎党の首をかききりますが、手塚太郎に組み落とされ、 ついに討たれてしまいます。

手塚太郎は、義仲に不思議な武者を討ち取ったことを報告します。
いくら訪ねても、名乗らなかったこと、錦の直垂を着ているわりには、従っている軍勢は いなかったことを語ります。

義仲は、「斉藤別当ではないか」と口走ります。
義仲は子供の頃、父が叔父の悪源太義平に 討たれて孤児になった時、実盛に預けられて大変世話になったのでした。

しかし白髪でなく黒髪なのが気になります。
義仲は実盛と長年親しかった樋口次郎兼光(ひぐちのじろう かねみつ) を呼びます。

樋口次郎は、すぐに斉藤別当実盛とわかり、涙を流します。

実盛はかつて、樋口次郎に語っていました。
六十を過ぎて戦場に向かう時は髪を黒く染めようと思う。若武者たちと争うのも大人げないことだし、 老武者といって侮られるのもつまらないことだと。

また、実盛は昨年富士川の合戦で 水鳥の羽音に驚いて源氏と一矢もまじえず敗退したこと(「富士川」)を老後の恥辱と感じていました。

今回の北陸戦線では平家のために討死を覚悟しており、大臣殿(おおいとの。平宗盛)の前で 「故郷には錦を着て帰れという故事があります」と言って、錦の着用を許されたいうことでした。
(実盛は越前の出身)

■ 補足 ■

故事からの引用が多い章です。

昔の朱買臣は錦の袂を会稽山にひるがえし、今の斉藤別当はその名を北国の巷に上ぐとかや
前漢の朱買臣は貧乏でしたが学問が好きで五十歳を過ぎて科挙に受かり、会稽山の 太守となりました。
ここから「故郷に錦を飾る」という言葉が生まれました。

朽ちもせぬ虚しき名のみ留めおきて…
西行の歌、
朽ちもせぬ その名ばかりをとどめおきて 枯野のすすき 形見にぞ見る
をふまえています。西行が藤中将実方(とうのちゅうじう さねかた)という平安時代の 有名な歌人の墓を訪ねて詠んだ歌です。
歌人としての高名も今は虚しく、墓の前にはすすきがなびいている…といった意です。

後に俳人松尾芭蕉は
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
と詠みました。
樋口次郎が実盛の首を見てもらした言葉「あなむざんや」を踏まえたものです。

朗読について

斉藤別当実盛と手塚太郎光盛の掛け合い、樋口次郎のクドキなど、朗読しがいのある章です。
平家物語の中に、幼少の頃の義仲と実盛の描写はありませんが、懐かしい実盛じいさんと このような形で再会した義仲の心中…シミジミ思いながら朗読しました。

実盛の行動は熾烈ですが「最後にやるべきことをやった」というさわやかさが 満ちています。すがすがしいです。

posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭