朗読 平家物語木曽義仲の台頭 瀬尾(妹尾)最期

瀬尾(妹尾)最期

平家物語巻第八より「瀬尾最期(せのおの さいご)」です(妹尾とも表記)。
瀬尾太郎兼康(せのおのたろう かねやす)は平家の侍でしたが、北陸の戦いで 木曽義仲に下りました。
しかし内心では平家に心を通わせ、脱出する機会をうかがっていました。

平家物語:瀬尾最期(一) 朗読mp3
平家物語:瀬尾最期(二) 朗読mp3

あらすじ

水島の合戦の平家の勝利(「水島合戦」)を聞き、義仲は山陽道へ一万余騎を差し向けます。

平家の侍、妹尾太郎兼康(せのおのたろう かねやす)は、倶利伽羅峠の戦いで義仲のもとに捕らえられました(「倶利伽羅落」)。
そして倉光三郎成氏(くらみつのさぶろう なりうじ)に預けられていました。

妹尾の剛勇を惜しんだ義仲は、斬ることをしなかったのです。
しかし妹尾は、表面上義仲に従うふうを装いながら、再び平家の元に走る機会をうかがっていました。

ある時妹尾太郎兼康は、 世話になっているお礼に、自分が知行する備中の妹尾を献上したいと倉光三郎成氏に進言します。

義仲の許可をもらった倉光三郎は、妹尾の案内で備中の妹尾へ向かいます。
途中、播磨の国府で妹尾の嫡子小太郎宗康と合流し、備前国三石で酒宴が催されます。

その夜、妹尾は倉光三郎所従三十人が酔いつぶれているところを、刺し殺します。
十郎蔵人行家の代官の元にも押し寄せ、これを討ちます。

妹尾太郎兼康が「平家に志のある者は兼康の元へ来い」と呼びかけると、二千余人が集まり、 備前国福竜寺縄手、篠のせまりに城郭を構え、源氏が押し寄せるのを待ち受けるのでした。

義仲は逃げてきた下人たちの報告で妹尾が背いたことを知り、「斬っておけばよかった!」と後悔し、 今井四郎兼平を三千余騎で差し向けます。

今井四郎は妹尾の立てこもる福竜時縄手に押し寄せます。
妹尾は「命を助けられたお礼だ」と矢を射かけます。
乱戦になりますが、妹尾のかき集めた武者たちは多く討たれ、妹尾は城郭を 破られ、落ちていきます。

妹尾が主従三騎で落ちて行くところに、かつて倶利伽羅峠で妹尾を生け捕りにした 倉光次郎成澄(くらみつのじろう なりずみ)が追いかけてきて、降伏を勧めます。

しかし妹尾は従わず、倉光と組み、首を取ります。

妹尾の嫡子宗康(むねやす)は、太っていたため、この逃亡について来ることができませんでした。
妹尾はやむなく、宗康を見捨てて逃げ延びますが、行き会った郎党に「引き返しなさい」と進められ、宗康を助けるため引き返します。

宗康は父が引き返してきたのを見て、涙ながらに「逃げてください」と訴えますが、妹尾は 息子と一所で死ぬの覚悟でした。
宗康の首をとり、追撃してきた今井四郎の勢の中に駆け入り、 遂に討死を遂げるのでした。

義仲は「これこそ一人当千のつわものと言うのだ」と、妹尾らの剛勇を惜しみました。

■■ 補足 ■■
蘇子卿(そしけい)が胡国(ここく)に捕われ、李少卿(りしょうけい)が漢朝へ帰らざりしがごとし
蘇子卿は、前漢の蘇武のこと。武帝の使者として匈奴の元へ赴いたが、拘留される。
十九年後に漢に帰ることができた。「蘇武」の中で語られている。

李少卿は、前漢の李陵(りりょう)のこと。匈奴と戦い武功を立てながらも、生捕りになり、 胡国で一生を終える。「史記」を書いた司馬遷(しばせん)の友人。

李陵、蘇武、司馬遷のことは中島敦の「李陵」に詳しく書かれています。

朗読について

長い章です。そしてテンションが上がりっぱなしです。
一気に朗読すると、声が枯れます。
実際、枯れてます。

途中休憩を挟みつつ朗読するのがいいです。2分も休めば喉のコンディションは かなり回復するもんです。

激しい箇所を朗読した後は気分が高揚してて気づかないですが、声荒れてることが多いです。
まあ、多少荒れてるくらいが必死ぽくていいかも知れんですが。


posted by 左大臣光永 | 木曽義仲の台頭