鹿谷

平家物語:鹿谷 朗読mp3

平家物語巻第一より「鹿谷(ししのたに)」です。
新大納言成親卿(しんだいなごん なりちかのきょう)は 東山鹿谷の山荘に同士を集め、打倒平家の陰謀を語り合います。


あらすじ

摂政藤原基房(ふじわら もとふさ)一行は、高倉天皇御元服の儀の打ち合わせに向かう途中、 平家の侍に襲撃されます(「殿下乗合」)。
このため、打ち合わせは延期されたものの、基房は天皇への加冠役に選ばれ、太政大臣の宣旨を受けます。

翌嘉応三年正月五日、高倉天皇御元服の儀が行われます。
その時、清盛の娘徳子(後の建礼門院)の入内も決まります
身分上、入内は許されないので後白河法皇の猶子として入内しました。

その頃、藤原師長(ふじわら もろなが)が、近衛左大将を辞職します。
空席になった左大将へ昇進するのは、徳大寺の大納言実定卿(とくだいじのだいなごん じっていのきょう) と噂されました。

新大納言成親卿(しんだいなごんなりちかきょう)は、この左大将への就任を強く望みます。
後白河法皇に気に入られていたことをいいことに、石清水八幡宮で 大般若を七日読ませ、祈ります。
七日目に山鳩が三羽飛んできて、共食いして死ぬという不吉なしるしがありました。
神祇官は「天下の騒ぎ」と占います。

成親卿はこりずに上賀茂神社へ七夜参詣します。
七夜目に見た夢に、お告げがありました。

さくら花 かもの河風うらむなよ 散るをばえこそとどめざりけれ
(賀茂の川風が吹いて桜の花(成親)を吹き散らしてしまうのだ。神の力でもどうすることも できないのだから、恨むな)

それでも懲りない成親卿は、上賀茂神社に修行僧をこもらせて百日間の修法を行わせました。
七十五日目に雷が落ち、あやうく火事になりかけたので、神人らはこの僧を追い出しました。

しかし成親卿がこれほど望んだにも関わらず、 実定卿も成親卿も左大将になれませんでした。

右大将であった小松殿(清盛の嫡子)が左大将に 、中納言であった次男宗盛が位の高い人を幾人も飛び越して右大将に就任。
全て平家の意のままでした。

徳大寺殿は家柄も学問も優れ、次期右大将と期待されていましたが、宗盛卿に 先を越されたのは遺恨なことで、しばらく自宅に閉じこもることにしました。

大納言成親卿は、重盛、宗盛に先を越されたことに憤ります。
平治の乱の時、敵側に同心して首を刎ねられる運命だったのを、小松殿の口ききによって助けられた 恩を忘れ、必ず平家を滅ぼすといきまくのでした。

京都東山の鹿谷(ししのたに)に、俊寛僧都の山荘があり、大納言らは毎夜集まって平家打倒の策謀をめぐらせていました。
ある夜、法皇も故・少納言入道信西の子息・静憲法印を伴って訪れます。
その席で、大納言は目の前の瓶子(とっくり)を引き倒し、 「平氏が倒れた」とはしゃぎます。
各人、「瓶子(平氏)」の洒落に便乗してはしゃぎ、しまいに西光法師が「首をとるのが一番」と、瓶子の首をもぎ取ってしまいます。
法印は、あまりの恐ろしさに、物も言えませんでした。

朗読について

俊寛僧都の山荘に不平分子が集まって、夜な夜な謀略をめぐらす…鹿ケ谷事件です。
こう…深夜、ぼうっと灯りがともった中で、ヒソヒソと話し合っていて、壁に大きく影がうつったりする、その、そのあやしい雰囲気が 朗読で出せればと思いました。

酒宴の描写ですから、登場人物が多く、演じ分けが難しい箇所です。

この連中の言うことはなかなか洒落がきいていて、イキです。
でも、そんな冗談ばっかり言ってないで まじめに計画立てろよと思いながら朗読しました。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄
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