朗読 平家物語平家繁栄 大納言流罪

大納言流罪

平家物語巻第二より「大納言流罪(だいなごんるざい)」です。
鹿谷の陰謀の首謀者として身柄を拘束さた新大納言成親(しんだいなごん なりちか)は、 備前の児島へ流罪となります。

平家物語:大納言流罪 朗読mp3

あらすじ

治承元年(1177)六月二日、新大納言成親は鹿谷事件の首謀者として車に乗せられる。武士たちが車の前後左右を取り囲む。

新大納言は「今一度小松殿(重盛)に会わせてくれ」と頼むが、聞き入れられない。

道すがら、牛飼い、雑人にいたるまで涙を流した。まして長年連れ添った北の方はどんな気持ちか。

鳥羽殿を過ぎるにつけても、法皇がこの御所へ御幸の時はいつもお供をしたのにと思われ、わが山荘州浜殿もよそながら見て通っていく。

新大納言は警護の武士難波次郎経遠に「このあたりに私の知り合いがあれば、ことづけを頼みたい」と頼むが、名乗り出るものは一人もなかった。

新大納言はかつて一二千人もの人を従えていたことを思い、状況がかわったことを あらためて実感した。

その日は、摂津の国大物の浦(現兵庫県尼崎市の海岸)に着いた。

新大納言が死罪を流罪に減ぜられたのは、重盛のとりはからいであったが、新大納言は中納言の時にも流罪になりかけたことがある。

嘉応元年(六年前)、新大納言が中納言として美濃国(事実は尾張国)を知行していた頃のこと。

目代(代官)右衛門尉正友が地元の神人(じんにん。神社に奉仕する人)ともめごとを起した末に十余人を殺害した。

山門の大衆は、国司成親と目代正友の処分を求め、朝廷へ訴えた。

成親は備中国へ流罪と決まり、 すでに配所へ向かっていたところ、後白河法皇から赦免の書状がとどき釈放となった。

山門の大衆は成親らを呪詛した。

しかし成親は順調に出世し、当然そのポストにつくべき人々をも追い越して、出世した。それは、三条室町殿を造営して法皇に寄進したためであった。

人々は山門の呪詛のあてにならないことを嘲ったが、今になってその呪詛が 功を奏し、流罪となったのだろうか。

神罰も、呪詛も、速いこともあり、遅いこともあり、定まらないものである。

同三日、新大納言を備前の児島に流せとの使いが京から届く。また、重盛から文があった。

「都近い山里にととりなしたのですが、こんな結果となって 申し訳ない。しかし、命ばかりはお助けできました」と、文があった。

「前回流されかけた時は、法皇のご赦免があった。今度はそもそも法皇の御処罰ですらないのに、なぜこんなことになってしまうのだ」

新大納言は嘆き悲しむ。

長い船旅の末、一行は備前の児島に着いた。後ろは山、前は海、見るからに侘しい場所だった。

朗読について

実家で朗読しました。声が思いっきり出せて気持ちよかったです。
また、朗読の合間に好きなだけ休憩をはさめるのが素晴らしいことです。
(いつも会場を借りて時間に追われて録音しているので)

本当に呼吸や発声がよければ何時間朗読しても声は荒れないのでしょうが、 自分にはまだ合間の休憩が不可欠なのです。

この「大納言流罪」は、前の「西光被漸」といい対照になっています。
西光の毅然とした態度と、成親の挙動不審っぷり。現実を受け入れられない 様子。この対比がいいです。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄