朗読 平家物語平家繁栄 阿古屋之松

阿古屋之松

丹波少将成経は備中妹尾(岡山県妹尾)へ流される。父成親の配所が備前ときき会いたく思うが、預かりの武士・瀬尾太郎兼康は遠く離れていると嘘を教える。

そこで成経は備中・備前・備後が以前は一国だったことから、陸奥国に流された藤原実方の「阿古屋の松」の故事を思い出す。

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あらすじ

新大納言成親卿一人ではなく、鹿谷事件に連座した多くの人々が処罰された。

その頃入道相国(清盛)は、福原の別邸にいたが、門脇の宰相(平教盛)のもとへ使いを送り、 「丹波少将成経を福原へよこせ」と命じた。

門脇の宰相が(娘婿である)丹波少将成経にこの事を伝えると、少将は泣く泣く福原へ出発した。

門脇の宰相は、「たとえどの浦に流されようともお訪ねするつもりだ」と少将に伝える。

成経は元服前の幼い息子に別れを告げる。

七歳になったら元服させて法皇へお仕えさせようと思っていたが、今はどうすることも できない。もし命があれば僧になって後世を弔ってくれと語る。

意味はわからないながら、成経の子はうなずく。それを見て、その座に並み居る人々は皆涙を流した。

福原からの使いが急かすので、その夜のうちに 鳥羽へ向かい、同二十二日、福原に到着した。

清盛は、瀬尾太郎兼康(せのおのたろう かねやす)に命じて、成経を備中の国まで下させた。

瀬尾太郎兼康は門脇の宰相に伝わることを恐れて、道すがら成経を慰したが、 成経の気持ちは晴れない。

一方成経の父新大納言成親は、備前の児島から備中の有木の別所(別院)に移されていた。

成経のいる備前の瀬尾と、父成親のいる有木の別所とは、わずか五十町(5.6キロメートル)の距離である。

しかし成経が瀬尾太郎兼康に備中の有木の別所までの距離を尋ねると、「片道十二三日」という。

その時成経は涙を流して言う。

備中、備前、豊後はもとは一国であった。また、陸奥と出羽ももとは一国であった。

そこで、藤中将実方が陸奥に阿古屋の松を尋ねた時の故事を思い浮かべる。

その昔、藤中将実方が陸奥国に流された時、歌枕として有名な阿古屋の松を探しまわった。

実方が地元の老人に「阿古屋の松はどこですか」と 尋ねると、「出羽の国」という。

実方は、「時代か経って、誰も名所のことは覚えていないのだな…」と 虚しく去ろうとする。

老人は実方を呼びとめて言う。

「あなたは、「みちのくの 阿古屋の松に 木がくれて いづべき月の いでもやらぬか」 という歌で阿古屋の松を知ったのでしょう。
それは出羽と陸奥が一国であった時代に詠まれた歌です。
今、阿古屋の松は出羽の国にあります」

実方は老人の言葉のとおり出羽の国に超え、阿古屋の松を見ることができた。

……
成経のいる備中瀬尾と、父成親のいる備前有木はわずか五十町たらず。そんなに時間がかかるわけがない。

成経は瀬尾太郎が嘘をつくのは、父の在所を知られまいという意図だろうと悟り、 以後この話題には触れないようにした。

阿古屋の松の伝承

陸奥守として赴任した中納言藤原豊充の娘阿古耶姫は、地元の若者と恋に落ちます。

しかし若者の正体は千歳山に生える松の古木の精でした。
正体を明かし、阿古耶姫のもとを立ち去ります。

その後、名取川が氾濫し、橋を新造するため千歳山の松が切り倒されますが、 どうしても動かすことができません。

占い師が「阿古耶姫に頼め」というので、村人はそうします。

阿古耶姫は切り倒された千歳山の松を見て、涙にくれますが、村のために 橋になってくださいと頼みます。

木は自然に動き出し、橋のところまで移動し、橋をかけることができたということです。

現山形県千歳山万松寺内の松と言われています。 謡曲「阿古屋松」は、平家物語の「阿古屋之松」に基づき、実方に阿古屋松の所在を 教えた老人は塩釜明神の化身だというアレンジが加えられています。

藤中将実方(とうのちゅうじょう さねかた)

平安時代の歌人。
天皇の面前で歌の議論となり、頭にきて相手の冠を叩き落したために天皇の 怒りを買い、陸奥国に左遷となります。
百人一首に採られている「かくとだに えやはいぶきの さしも草  さしも知らじな 燃ゆる思いを」の作者として有名です。
松尾芭蕉は、「奥の細道」の中で、藤中将実方の塚(墓)を訪ねています。


posted by 左大臣光永 | 平家繁栄