平家物語巻第五より「頼豪(らいごう)」です。
白河天皇の時代、三井寺の頼豪阿闍梨は生まれたばかりの皇子を
呪い殺します。平家物語本編より百年ほど昔の出来事です。
あらすじ
白河天皇は御最愛の后、賢子(けんし)との間に皇子の誕生を強く望み、高僧と 聞こえの高い三井寺の頼豪阿闍梨に依頼する。 頼豪阿闍梨は皇子誕生を願い百日間の祈りを捧げ、 その甲斐あってか皇子が誕生する。 白河天皇が褒美を尋ねると、頼豪は三井寺に戒壇を立てることを 所望した。 (戒壇…僧に戒を授けるための儀式を行う祭壇のことで、 前々から三井寺が望んでいた) これを許せば比叡山との間でいさかいになることは目に見えていたため、白河天皇は許されなかった。 頼豪は口惜しく思い、三井寺に帰り食を断って餓死しようとした。 驚いた白河天皇は、頼豪の檀家である美作守大江匡房(みまさかのかみ おおえの まさふさ)を遣わします。 美作守が頼豪の宿房に行ってみると、頼豪は 「自分が取り出した皇子なのだ。所望が叶わないなら魔道へ道連れにする」と 恐ろしげに祈願していた。 美作守はなすすべもなく都へ帰りこれを報告する。 すぐに頼豪は餓死した。 それに続いて頼豪の祈り通り皇子は病気になり、承暦元年八月六日還らぬ人となった。 敦文の親王(あつふんの しんのう)とは、この皇子のことである。 白河天皇はお嘆きになり、比叡山の円融房の僧都良信(後の大僧正) を召して、どうすべきか尋ねると、 良信は比叡山に帰って百日祈願する。 すると中宮は御懐妊され、めでたく皇子が御誕生した。後の堀河天皇である。 このように怨霊の祟りは昔から恐ろしいもので、今回も皇子ご誕生にあたり 大赦を行ったといっても俊寛一人許さなかったのは禍根を残すことだった。 治承二年十二月八日(本当は十五日)、皇子(言仁親王)は二歳で東宮に立たれた。後の安徳天皇である。朗読について
頼豪のまがまがしげなシャウトが一番のキモです。
頼豪は敦文の親王を呪い殺した後も、大鼠となって鉄鼠(鉄の歯を持つ鼠)を率いて比叡山を襲撃したり、
いろいろやっちゃった人みたいです。
その昔、水木しげる氏の描いた鉄鼠を妖怪辞典で見た記憶があります。
経文をバリバリと喰い散らかしてる場面です。緑色の顔、オッサンくさい表情…なかなか
頼豪のキャラクター性をとらえていました。
ゲゲゲの鬼太郎にも何度か登場しているようです。
私は初代のコミックス(朝日ソノラマ)しか知らないのでその活躍を見る機会にいまだ預かれてませんが…。
てゆうか坊さんのくせにメチャクチャやりすぎです。
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