平家物語巻第十一より「能登殿最期(のとどの さいご)」です。
壇ノ浦の合戦終盤。能登守教経は最後まで鬼神のような戦いを繰り広げます。
あらすじ
二位の尼は安徳天皇を抱いて入水します(「先帝身投」)。
これを見た建礼門院徳子は、重りを抱いて入水しようとしますが、源氏の武士にかきあげられます。
大納言の佐殿は、内侍所を納めた唐櫃を持って入水しようとしましたが、やはりとり留められました。
(注)「内侍所」とは三種の神器の一つ八咫鏡が置いてある宮中の温明殿(うんめいでん)のことですが、
平家は八咫鏡を持ち去り、御座舟の中に臨時の内侍所を造っていました。
また、八咫鏡そのものを「内侍所」と呼ぶこともあり、ここではその用法です。
源氏の武士どもが内侍所(八咫鏡)の納められた箱をこじ開けようとすると、たちまち目がくらみ、鼻血がたれます。
生捕りになっていた平大納言時忠卿は、「内侍所に凡人が近づくものではない」と言います。
後に義経は時忠と相談して内侍所をもとの通り、櫃に納めました。
平家の主だった人々とが次々と入水する中、宗盛父子は、ふなばたでぐずぐずしていました。
侍たちが、あまりのはがゆさに、側を通るふりをして宗盛を突き落とします。
息子の右衛門督も飛び込みます。
父子沈みあぐねている間に源氏方の伊勢三郎義盛によって引き上げられます。
宗盛の乳母子、飛騨三郎左衛門景経(ひだのさぶろうざえもん かげつね)が、助けに入りますが、
宗盛の目の前で討ち取られてしまいます。
さて能登守教経(のとのかみ のりつね)は、長刀で源氏の武士を片っ端から討ち取っていました。
そこへ大将の知盛から「無益な殺生をするな」と使者が届きます。
教経は敵の大将義経ひとりを狙おうと、舟から舟へ乗り移り、義経を探します。
義経は味方の舟に乗り移り、難を逃れます。
追跡を諦めた教経は、武器も兜も海へ投げ捨て、向かって来た安芸太郎次郎兄弟を両脇に挟み、海へ飛び込むのでした。
教経、生年26歳…。
「祇園精舎」で描かれた諸行無常の精神を具現化するがごとく多くの主要人物が命を落としていきます。
そんな中、能登守教経の最後の大活躍です。
平家物語の中でも「木曾最期」や「鶏合 壇浦合戦」と並びやかましい章です。朗読すると確実に酸素が薄くなります。
何度目かの再録ですが、やはり所々声が枯れてます…悔しいです。
教経は義経の追跡はあっさり諦めていますが、
最後の立ち回り、台詞と相まって、派手です。
「鎌倉へ下って頼朝に会うて、物ひとことば 言はんと思うぞ
寄れや、寄れー!」
この「寄れや寄れー」は、何度録音しても音が割れて、困りました。
教経は中盤、「生け捕りにして鎌倉へ連れて行け」と言っているのに、最後は当然のように海に飛び込みます。
これは、ちょっと違和感を覚えました。「十分に暴れた」という満足感でしょうか…。
なんちゅう派手な26歳かと思いながら朗読しました。