平家物語巻第十一より「先帝身投(せんていみなげ)」です。
壇ノ浦の戦い終盤、二位の尼時子は安徳天皇を抱いて入水します。もう4回目くらいです。
あらすじ
壇ノ浦の合戦も終盤となり平家の負けが見えてきます。
大将軍の知盛は、小舟に乗って安徳天皇の御座舟に赴き、
「見苦しいものを皆、海へ投げ捨てよ」と指示。自ら舟の掃除をします。
二位の尼時子は八歳の安徳天皇を抱いて、ふなばたへ歩み出でます。
「どこへ連れていくのか」と問う安徳天皇に対し時子は「極楽浄土へ」と答え、
「浪の下にも都はございます」と、海へ飛び込むのでした。
4回目?くらいの録音です。ここまでくるとほとんど暗記しています。「ああ、あのくだりか」と、朗読しながら客観的に観測する余裕が出てきて、よいものです。
我が身は女なりともかたきの手にはかかるまじ
極楽浄土とて、めでたき処に具し参らせさぶろうぞ
こういうことを、尼さん装束をまとったおばさんが、思いつめた表情で、言うのです。
冗談ではないです。
二位の尼時子が8歳の安徳天皇を抱いて入水する…たいへんショッキングな記事です。
安徳天皇が生きていたら反逆者として罰せられるかもしれない。
時子は安徳天皇に恥をかかせるよりは、と考えたのでしょうか。
しかし、崇徳院やこの後の時代の後鳥羽院の例を見ても、かつて天皇の位にあった人物が
処刑されたことはなく、島流し止まりです。
まあ、時子の台詞の中にあるように、浄土に期待をかけ、あっちの世界では幸せに
なりましょう的なものがあるんでしょうが、それを考慮してもやりすぎな気がします。
また、建礼門院徳子は自分の息子が水に沈められるのを見て止めなかったのかとか、このあたりは
納得いかない部分が多いです。
(参考までに、歴代天皇の中で在位中に殺されたのは第32代崇峻天皇のみです。
臣下の蘇我馬子の指示で暗殺されました。
また、幕末の第121代孝明天皇には、毒殺説があります)
水に溺れて死ぬということは、もう大変な苦しみでしょう。自分も昔
溺れたことがありますが、思い出すだけでグーーーと呼吸が苦しくなります。
悲しきかな無常の春の風たちまちに花の御姿を散らし、
情なきかな分段の荒き波、玉体を沈めたてまつる
平家物語は美化しすぎです。
安徳天皇には生存説があり、硫黄島や対馬をはじめ、
九州四国を中心に安徳天皇伝承の場所が多くあります。
また、「実は女だった」というのも、有名なネタです。
最近では宇月原 晴明著「安徳天皇漂海記」が印象深かったです。
安徳天王の魂が源実朝、マルコ・ポーロ、クビライ・カーンなどと関わっていく壮大なファンタジーです。